民主党・新緑風会の松井孝治でございます。
既に会派を超えて同僚委員の皆様がいろいろな御発言をされました。できるだけ口語的な表現で私の意見を述べさせていただきたいと思います。
そもそも憲法でございますが、先ほど同僚委員の発言にもありましたように、英語で言えばコンスティチューションでありまして、正に憲法というのは国の形、国体そのものであろうかと思います。
その意味で、国の形として現在の日本国憲法をどう議論するのか、どう変えるべきかについて私見を申し述べさせていただきたいと思います。
まず第一に、私が考えます国の形の変更ですが、一言で言うと、戦後あるいは戦前から引きずっている中央官僚主導の官僚社会主義的な国家、社会の成り立ち、しかも官僚社会主義的と言った場合に、
その行動原理が真の国益に基づくものではなくて、行政各部中心主義といいましょうか、分担管理原則に基づいて各省の省益追求ということにこの国の政府の職員が行動原理を置いている、
この体質を変えなければいけない。それが第一の論点としてあろうと思います。
第二の論点としては、国民の政治へのガバナンスの欠如といいましょうか、国民が自律的にこの国の、硬い言葉で言えば統治に参画している意識を持っていない、持ち得ない状況にある。
場合によっては、被統治者意識を持っていると言ってもいいかもしれません。そのような現在のこの国の国家と国民の関係、これをどのように直していくのか。国民が言わば自律的個人の集積体として政府の意思決定にいかに責任を持ち、その意思決定に参画していくような仕組みを作り出していくのか。そのことが我が国の国の形を変える際の基本的な原則として、我々は肝に銘ずるべき問題であろうと思います。
その観点から、まず第一に私が申し上げさせていただきたいのは、現在の議院内閣制の機能がこのままでいいのか、その機能を更に発現していくために何が必要かということであります。
私は、基本的に今の内閣の分担管理原則というものを変えていかなければいけない。これは、正に官僚内閣制というふうにやゆされるような形に現在なっているわけであります。
意思決定、先ほど同僚委員から、この国の政治について決めるという要素が非常に欠如しているんではないかという指摘がありましたが、私も全く同感でありまして、もっと意思決定を透明化し、だれの責任でその意思決定を行ったかということを明らかにしていかなければいけない。
当然、内閣は国会に対して連帯して責任を負うというのは憲法上の規定にあるわけですが、その連帯責任ということを履き違えているのではないか。
閣議の意思決定の仕方についても、同僚委員から既に御指摘がありましたが、すべてコンセンサスというやり方で意思決定が行われている。この今の閣議の意思決定の仕方が、現状では、行政各部、すなわち各省が事実上閣議決定について拒否権を持ってしまっているという実態になっているということは非常に憂慮すべき実態であると思います。
現在、与党においては事前審査制というものが慣行として確立しているわけでありますが、これについても典型的な事前調整型の意思決定であろうと思います。
行政各部、すなわち各省及びその行政各部と利害を一にするような政治グループが事前にすり合わせをしてコンセンサスビルディングを行う、そのコンセンサスビルディングによって決定された政策というものを一丸となって国会においてはできるだけ実質的な議論をせずに通してしまう。
この意思決定の仕方が、ある意味では政治的な安定性ということのために官僚と政治が作り出してきたやり方かもしれませんが、国会における実質的な審議というものをなくしているんじゃないか、国会審議の形骸化というものを招いているんではないかと思います。
その意味では、この現在の与党の事前審査制、ある意味では政府・与党の意思決定の二元体制というのは憲法六十五条の趣旨に反する可能性もありますし、国会の審議権を事実上先取りしているということで大きな問題があろうと思います。
先ほどから、同僚委員の方々で首相公選制についての言及がございました。
私は、首相公選制というものが何を意味するかによって議論が多少異なってくるかと思いますが、現状の国民の首相公選制についての期待の表れというのは、ある意味では、今の議院内閣制の機能不全に対する国民のフラストレーションであると我々は謙虚に受け止めなければいけないのではないかと思います。
その意味では、首相公選制、いわゆる大統領型の首相公選制が適切かどうかはともかくとして、民意をいかに日本の政治に反映させていくかということについては、我々はいろいろな偏見あるいは先入観にとらわれずに議論をしていく必要があろうかと思います。
さらに、これも同僚委員から既に御指摘がありましたが、この国の形を変更するに当たって非常に大事な要素は、地域主権というものをどうやって実現していくかということであります。
今の憲法では、憲法の第九十二条以降に地方自治の規定がございます。従来の国と地方の関係を変えないんであれば、憲法九十二条の地方公共団体の組織、運営についての規定というものはいじる必要がないわけでありますが、先ほど来の指摘にありますように、今は非常に大きな転換点にあるわけで、国の権限を大幅に地方、地域に移譲していく必要がある。
その際に、国と地方自治体の権限関係を規定できるのは、私は国家の基本法典である憲法をおいてほかにないと考えております。その意味でも、憲法の地方自治についての規定については、これは基本的に国と地方の役割分担をはっきりと憲法に規定する方向できちんと議論をしていく必要があるのではないかと考えております。
さらに、これも既に同僚議員から指摘がございましたが、憲法解釈や審査の在り方について現状のままでいいのかどうか。特に、憲法が非常に、我が国憲法が硬性憲法でなかなか改正について事実上いろんなハードルがあるという中で今、憲法解釈によってそれをすり抜けようという動きがあるということは、やはり我々は注意を要さなければいけないと思います。
その意味で、今、憲法解釈について、私も内閣法制局の存在が問題だと思います。司法権の一部である最高裁の違憲立法審査というものが極めて受動的にしか行われていない状況の中で、事実上、憲法解釈を行政府の一部である内閣法制局が担っているという現状は極めて不健全なものであると思います。
これについては、司法の在り方、あるいは議会として、国会としてどのような憲法解釈を持ち得るのかということも含めて、憲法解釈についてどのような主体が担っていくのか、先ほど来、憲法院という言葉も御発言の中にありましたけれども、そういう存在も含めて我々は検討をしていく必要があるのではないかと思います。
官僚社会主義という意味においては、官僚社会主義を変更していくという意味においては、先ほど来も言及がありましたが、会計検査院的機能をどのように位置付けるのか、これについてもきちんと議論をしていく必要があると思います。
結びに、一点問題提起をさせていただきたいのは、冒頭に舛添委員から御指摘がございましたが、有事の問題でございます。
私は、現在の日本国憲法の平和憲法としての理念というものは尊重する立場にいる者でございますが、逆に、この基本法典としての憲法の大きな役割は、全体の利益と個別の利益の調整ということにあろうかと思います。
有事に際して、国家が基本的人権を一部制約する必要があるという状態は当然考えられるわけでありまして、そうした基本的人権の制約をどのような基準によって行うのかということは、基本法典に明確に位置付けるべき問題ではないかと考えます。
国家の、国の形を規定する憲法に、正に国家の最も本源的かつ伝統的機能である有事に際しての国家と国民との関係が位置付けられていないというのは、これは政治的な立場の相違を超えても、この憲法調査会としてきちんと議論をしていかなければならない課題であるかと思います。
一番最後に申し上げたいのは、この憲法の硬性憲法としての位置付けでございます。
少なくとも、その硬性憲法としての位置付けについても国際的比較の下で我々は考えていかなければいけない。正にこの国の形というのを国民が決定していくということであれば、その憲法改正手続についても議論が必要であろうかと思います。
その意味で、今は正に現行憲法に規定される憲法改正手続が法律によって定められていないこの状態というのは異常としか言いようがないわけでありまして、その憲法改正手続の不備というものをできるだけ早く正常化していくことも我々にとっての非常に重要な任務ではないかということを申し上げさせていただきまして、私の意見陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
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