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平成十六年十月二十七日(水曜日)
午後零時四十分開会
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=松井孝治君=
民主党の松井孝治でございます。地方自治について発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。
地方自治の問題は、私は今日の憲法論においても最も重要な論点であろうと思います。今、同僚議員からも御発言がありましたが、我々も基本的には基礎自治体を中核に置いて、地方分権あるいは地域主権という言葉の方がより適切かもしれませんが、それを推進していくべきだ、そして、我が党もマニフェストに規定をさせていただいておりますが、自由民主党においてもマニフェストにおいて言及がございましたが、道州制というものを検討することによって大幅な地方分権あるいは地域主権の国づくりというものを実現していくべきだという立場に立っております。
現行の地方自治に関する憲法の規定、九十二条から九十五条までの規定があるわけであります。これは、率直に申し上げまして、憲法制定当初においては国際的な基準から見ても非常に先進的な規定であったというのが通例の評価になっていると思うわけであります。
現行の憲法規定であっても、例えば道州制が、それが実施し得ないかといえば、法文上、道州制も実施し得るわけでありますが、しかしやはり私は、憲法の法律としての基本的な性格が、まあ英語で言えばコンスティチューション、これは憲法と訳されているわけでありますが、意味合いとしては国制あるいは政体というような意味合いがある。その憲法の基本法典としての性格にもかんがみ、やはり大幅な地方分権あるいは地域主権への政体の変更ということのためには、憲法上の現在の地方自治に関する九十二条から九十五条にかかわる規定というものをやはり大幅に改めるべきではないかというのが私どもの立場でもございますし、私の個人的な意見でもございます。
先ほど、そもそもの憲法の規定というのは先進的、先駆的な規定であった、すなわち住民自治の原則、団体自治の原則というものを入れ込んでいるという意味においては当時は先駆的でありましたが、では、実態として、現行憲法に基づいて、現在の国と地方の役割が憲法の当初の規定のように先駆的なものであったかというと、むしろその実態は全く反対であると言わざるを得ないと思うわけであります。
地方公共団体というのは、現行憲法の規定上、法律などによるもののほか、国が行っていない事務は何でもできるというふうにも読めるわけですが、現実には国がほぼすべての政策分野を行っている。その中で、先ほど同僚議員からもお話がありましたが、圧倒的な権限と財源を国が持っている中で、地方に大きな権限はなかった。地方自治という精神は憲法に規定されていても、それが実際には発現されていなかったと言わざるを得ないと思います。
そういう状況の中で、国際的にもあるいは国内的にも地方分権、地域主権というものに対する要請が高まっていると思います。国際的にいえば、一九八〇年代以降、ヨーロッパの多くの国々で分権改革の動きは加速しております。フランスやベルギーで地方分権法が成立しておりますし、イギリスにおいてもスコットランドやウェールズなどの自治権が拡大されています。スイスやアメリカで導入されていた住民投票制度がヨーロッパ各国にも波及していっております。
こうした潮流に日本国憲法の中の地方自治規定は十分に追い付いていけているかというと、必ずしもそうではないと思います。日本が置かれた文明史的な位置付けの中でも、近代国家、国民システムが変容している中で、やはり今人々の価値観が非常に多様化している。あるいは、社会的、公共的に解決すべき課題の複雑化、多様化、グローバル化が進展している。情報革命の進展によって情報が分散化しスピード化して、人々のコミュニケーション能力が向上している。そうした状況の中で、公共的セクターの中にも、いわゆる従来の主権国家と地方政府以外にも、NPO、NGOが国内的にも国際的にも活発化している中で、もはや中央政府のみでガバナンスということを考えることについては限界が来ているというふうに言えると思います。
そういう状況の中で、近代国民国家システムの中で中央管理型で物事を解決しようという国家モデルはもう崩壊して、地域や住民を起点とした内発的な改革をベースにした政治的政策決定が行われるべき時代が来ているわけであります。もたれ合い型の国と地方ではなくて、あるいは中央の支配と地方の中央への依存という国のシステムを変えていくためにも、抜本的な地域主権の国づくりをむしろ憲法の議論を中核に据えながら行っていくべきであると考えております。
その意味で、私は、憲法的観点から幾つかの課題を提示してみたいと思います。
一番重要だと考えます点は、国と地方の役割に関する原則というのが現行憲法上はほとんど規定がない。それをやはり、中央政府と地方政府の相互に自立した、あるいは補完的な役割というものの、仕事の役割を国家基本法である憲法で明確に規定すべきであるというのが基本的な考え方であります。
その場合の規定の仕方として、国がナショナルミニマムとして最低限の役割を規定し、それ以外を地方の役割とするのか、あるいは地方の役割をポジティブに規定して、それを補完するものとして国の役割があるのかという議論については両論があると思いますが、いずれにしても、明確な規定が必要であると思っております。私自身は、方向性としては、大きな方向性として、道州制に向けて国と地方の役割規定を明確に明文上位置付けるべきであると考えています。
道州について言うと、これはいろいろまだイメージについて精査が必要であろうと思いますが、一般的に言えば、全国を十から十二の道州に再編するというような議論が主流であろうと思いますけれども、この道州、これはあくまでも広域自治体でありまして、その下に基礎自治体があって、二層制とすべきであるというふうに考えております。
国の役割について限定的に列記し、そして道州の役割としてやはり限定的に列記するべきであるというのが私の個人的見解でございますが、道州の役割として、警察、検察、河川、道路、通信基盤、空港、港湾、農業、林野、上下水道、災害、医療、雇用、社会保障、教育、都市計画などについてどのように考えるのか、あるいは基礎自治体と道州との関係をどう考えるのか、これについて更なる検討が必要であろうと思っております。
ちなみに、民間シンクタンクである構想日本が、約三年前から自治体の財政担当者やあるいは事業担当者とともに行っている自治体事業の仕分作業調査というものがありまして、これはもう自治体の職員自らがかかわっているわけでございますが、これは、都道府県の担当職員も含めて多くの事業の仕分を行った結果、都道府県が現在行っている事業のうち約二割から三割は市町村など基礎自治体に移管できるという結果が出ておりまして、そういう意味でも、この道州制を議論する場合には、その基礎自治体である、今で言うところの市町村と道州との役割をどのように分担していくのか、これについては、基本的には補完性の原理原則にのっとって仕分を行っていくべきではないかと思います。
そして、道州内の統治の仕組みについて言っても、今の憲法上の規定、九十二条や九十三条で書かれておりますような規定が本当に適切であるかどうかということについては、ホームルールという原則によって、より大きなウエートを基礎自治体に与えるべきではないか、あるいはそれは基本的に地方自治体間で決めるという形で、中央政府が関与しないような形で道州と基礎自治体の関係を規定すべきではないかという考え方も注目に値すると思います。
そして、非常に重要な問題としては、国の役割と道州の役割をどう考えるか、あるいは道州以下と国との役割をどう考えるかということでありまして、今の国の状況というのは、余りにも多くの森羅万象を国が所管するという考え方の結果、本来国として注力すべき事柄、具体的に言えば外交、安全保障であるとか出入国管理であるとか、金融であるとか治安維持であるとか、基礎的な社会保障システムであるとか地球環境問題に対する対応、こうした問題がやはりおろそかになっている。ここについて、やはり限定的に、しかしながら国の中央政府としての重点をどのような分野に置くべきかということをきちっと整理をし直さなければいけないと思っております。
国と地方のその意味で立法権の整理というものも必要であろうと思います。
これまでのように法律の範囲内で条例を制定する権限のみを自治体に与えるということではなくて、地方自治体と中央政府の権限配分に対応し、地方自治体に専属的あるいは優先的な立法権を憲法上保障すべきではないか。少なくとも基礎自治体にゆだねると、あるいは地方自治体にゆだねるとした分野については、優先的、専属的な立法権限を憲法上保障すべきではないか。そして、その上で、中央政府は地方自治体の専属的立法分野については立法権を持たず、地方自治体が優先する立法分野については大綱的な基準を定める立法のみ許されるという原則を書き込むべきではないかと考えています。
もう一つの重要な問題点として、地方の課税自主権あるいは財政自治権の議論も行う必要がございます。
つまり、国の課税対象、地方の課税対象は何かということについて、もう一度憲法論も含めて議論をすべきではないか。現行では租税公課について国が基本的に決定しておりますが、地方自治体が自らの事務事業を適切に執行できるよう、課税自主権、財政自治権を憲法上保障し、必要な財源を自らの責任と判断で調達できるようにすべきではないだろうか。課税自主権は、各自治体が自らにふさわしいと考える税目、税率の決定権を含むべきではないかと考えております。
後ほどの財政のセッションでも申し上げたいと思いますけれども、この財政あるいは課税自主権に関連する問題として非常に大きな問題は、仮に広域的自治体として道州を設定するにしても、やはり地域間の経済格差、財政格差が大きい、その調整をどういう仕組みにおいて行うかという論点は非常に重要な論点であろうと思います。
現在は財政調整は国、中央政府、具体的には総務省の一部局が地方交付税制度に基づいて基本的には行っているわけでありますが、この財政調整機能というものを本当の意味でどこが担っていくのがふさわしいのかということは、是非、憲法論も含めて議論をする必要があるのではないかと思います。
私は、この場をかりて二つのやり方があるということを問題提起をしたいと思いますが、一つは、水平的に、あくまでも地方間の財政調整というものは、国が絡むんではなくて、地方間で水平的に行う。具体的には、例えば憲法においてそのような財政調整を行う機関を憲法機関として直接書き込んで、そこで例えば自治体、例えば道州の長で構成されるような財政調整会議が相互に調整を行うというような形が一つあり得るんではないか。
もう一つは、国が関与するやり方として、これドイツの連邦参議院のやり方が一つの参考になると思うわけでありますが、二院制の議論とも絡みますけれども、ドイツの例を参考にするならば、参議院が地方の自治体を代表するような構成を取りまして、そこで地域間、例えば道州間の財政調整を行う。その機能を国会、例えば参議院に担わせてはいかがかというような考え方があろうと思います。
いずれにしても、この財政調整の在り方も含めて何がナショナルミニマムで国が行うべきなのか、どのような項目は課税自主権も含めて地方にゆだねるのか。そして、地方にゆだねた結果として生ずるような地方間の財政格差について、どのような仕組みでだれが調整をするのかというようなことは、これはやはり憲法において基軸を定めるべき事項であろうと思います。
財政については補足的に、また二院制の在り方とも若干触れますけれども、次のセッションで私の意見を申し上げさせていただきたいと思います。
取りあえずは以上でございます。
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=松井孝治君=
今の鈴木幹事の御発言、非常に興味深い問題なんですが、私は先ほど、最初に、冒頭にいただいた十五分間で言い漏らしました問題について発言をさせていただきたいと思います。
それは、具体的には、今の憲法の条文で言いますと、憲法九十二条、九十三条で規定をしている自治体の組織運営の在り方というものをどう考えるかということであります。
各会派から道州制についての言及がありましたが、その道州、普通、道州制を言う場合には、今の都道府県を廃止して、道州を広域自治体として導入して、それと基礎自治体から自治体が構成されるというふうに考えるパターンが一般的だと思いますが、そこの役割分担についていろいろ議論があるわけですが、それについての組織、その広域自治体と基b自治体の組織運営の在り方についてだれがどういうふうに規定するのがいいのかという問題でございます。
現行のその憲法では、それは基本的に法律で定める、あるいは地方公共団体の長あるいは議会議員というのは公選で行うということをこれ憲法上の要請として位置付けているわけでありますが、この辺りについて、本当に憲法として、国の基本法としてその制度を位置付けるのがいいのか、本当の意味での地方自治の本旨ということであれば、そこは、先ほど私はホームルールという言葉は言及させていただきましたが、そこを地方にゆだねる、州法にゆだねる、あるいはその下での基礎自治体の裁量にゆだねるという考え方があってもいいのではないかと思います。
これは鳥取県の日野郡というところでしょうか、これは面白い事例があって、公選ではなくて、日野郡民会議というのを設けておられて、これは性別とそれから年齢によってクオータ制で、抽せんで選出された三十人の代表で構成された郡民会議というものを設けておられる例があるそうでございます。
これは、厳密に法律的な意味での地方公共団体のガバナンスということでないということでこういうことが行われているわけでしょうけれども、実際の、本当に特に基礎自治体が、先ほど来議論に出ているような形で市町村合併が進んでくる中で、地域のコミュニティーのガバナンスをどうしていくかというときに、今のこの憲法が規定しているような、例えば九十三条が規定しているような選挙、公選の在り方だけがその組織運営の在り方として絶対のものなのか。あるいは、逆に言うと、プロの政治家というのがうさん臭いというような、国民のあるいは住民の認識もあるわけでありまして、一般の方々に何らかの、自治体の中でのコミュニティーの運営について、その自治体の裁量の範囲内で住民参加を促すようなやり方があってもいいんじゃないか。
これは特区制、特区制度の中で志木市などが何度か提案されているようなシティーマネジャー制度というようなものをどう考えるか、あるいはこれは住民投票の在り方としての議論でもありますが、住民発案案件を議会が否決した場合には住民投票によって決着を付けるべきだというような住民発案住民投票制度というようなものを供与するのかどうか、この辺りの問題は全国一律で地方自治制度を議論するのか、地方自治制度の中でも国と広域自治体との関係は基本法たる憲法で位置付けるけれども、その広域自治体と基礎自治体あるいは基礎自治体自身の運営の在り方については、それは憲法上の整理ではなくてその基礎自治体の範囲内で、権限の範囲内でもっと柔軟な制度を導入してもいいんじゃないかという議論があるということは追加的に問題提起をさせていただきたいと思います。
以上です。
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次に、松井孝治君。
=松井孝治君=
民主党の松井孝治でございます。
この財政の問題につきまして言うと、現行憲法の八十三条に財政民主主義の規定が明確に規定されておりますが、残念ながら、現実、この財政民主主義が貫徹しているかというと、そうなっていない。そこをしっかりと憲法議論においても規定をし直す必要があるんではないかと考えています。これは二院制の小委員会でも議論するべき話でありましょうが、やはり私は、この参議院の将来の役割の一つというのは、財政コントロールをしっかりやるということが参議院の機能の大きな役割を担うんではないかと思っております。
具体的に言うと、先ほど地方自治の時間にも申し上げましたけれども、財政調整、地方間の、道州制の導入という議論とも併せて行われますが、地方間の財政調整の機能というのは国としては当然必要な機能でありますが、これについて、現状のように霞が関の一部局が行っているというやり方がいいのか、それとも、やはりこの財政民主主義の観点から一院がしっかりとそれをチェックするという機能を明確に憲法に位置付けてはどうかというのが一つの論点であります。
もう一つの論点は、決算の院あるいは財政のチェックの院としての参議院の機能強化を図るべきではないかということでございます。
その観点からいうと、参議院が執行の一翼を担いながらチェック機能を十分に果たせるかどうかという点については十分一考を要するわけでありまして、例えば国務大臣を参議院から出すのかどうかとか総理大臣の指名権との関係も論点となってこようと思います。
また、私は決算委員会にも所属をしておりますが、憲法機関である会計検査院の在り方についての論議もあろうと思います。
諸外国の例でいっても、例えばイギリスの会計検査院というのは長らく大蔵省の外庁でありましたが、今、行政府から独立して、院長は、会計検査院の院長は下院役員であるというような、議会に近い存在にしているとか、スウェーデンでも議会に一本化をしたというような例もございます。
今の会計検査院の機能については、種々の評価があろうと思いますけれども、やはり霞が関と実際交渉しながら検査報告を作り上げているという実態を見る限りにおいて、やはりこれを議会の下に置いてもう少し強力な権能を、もちろん憲法機関としての位置付けはそのままでいいと思うんですが、議会の下に、特にこの参議院の在り方と関連して、会計検査院の機能をきっちりと強化をしていくべきではないかと思っております。
その他、幾つかの論点をもう時間もございませんので端的に申し上げますが、例えば決算の位置付けでありますが、現行憲法九十条の規定、提出扱いになっていますけれども、これが、決算が単に提出されていいのか、あるいは議案としてしっかりと審議が、もう少し強制力を持つ、あるいは予算との関係での、決算を通さないと予算が通らないようなリンクを持たせるような形で拘束力を、決算にもう少し強い拘束力を持たせるべきではないかという論点があろうと思います。ちなみに、フランスでは決算は法案、ドイツでは決算は議案、イギリスが報告となっているようであります。
それから、今、決算は政府を通じて間接提出になっておりますが、これもやはり直接提出にするのがその意味では自然な形ではないか。これも、ドイツ、イタリア、フランス等で基本法改正あるいは憲法改正によって提出方式が変更されているというふうに伺っております。
それから、決算報告というのが、今回の臨時国会でも決算が報告されるわけでありますが、これが年次報告ということになって、できるだけ前倒しをするということで、各会派の努力によって今年は十一月二十日以前に提出されるということになっていますが、これについても、年に一回で本当にいいのか。より随時多数の報告を議会に対して行うようなやり方にすべきではないかと、これは憲法上の問題ではないかもしれませんが、考えております。
ちなみに、アメリカの会計検査院、GAOは年間約千二百件の報告をいたしておりますし、大体諸外国でも非常にプログラム評価を中心に随時議会への報告、決算報告というのはなされていると聞いております。
それから第四点として、決算のやはりスピード化というのが必要でありまして、この点については現在相当改善がなされていますけれども、やはりもう少し次の年度の予算編成にダイレクトに参考になるような形で、随時プログラム評価のような形で決算報告がなされるべきではないかというふうに考えております。
ちなみに、イギリスでは、年間数十件の決算報告がなされて、それを受けて行政省庁がきちんと報告を議会に行うというような形で財政コントロールが行き届いているわけでありまして、そのような形を日本の参議院でも取れないか。そうなってくると、これは例えば会期、国会の会期を一元化して、衆議院、参議院、同じような会期でいいのかどうか、参議院はむしろ例えば通年化をして、随時報告を受けてチェック機能を果たせるようにするような改革を行うべきかもしれません。こうなってくると、財政ということだけではなくて、国会という章の改革にも関連するわけであります。
決算とダイレクトにはつながりませんけれども、今の会計検査院を含めて申し上げれば、国会全体としてのやっぱり調査能力あるいは政策評価能力をどう高めていくかということが大きな論点になろうと思います。今も調査室等々、精力的には働いていただいているわけでありますが、より国会全体として、法制局や調査室あるいは国会図書館も含めて、この調査能力あるいは政策評価能力というものを包括的に再編強化をするということも、これ決算の院としての参議院の機能強化のために必要な点ではないかと思います。
その政策評価、決算機能の強化以外で残されたわずかな時間で三点申し上げたいと思います。
一つは、これは決算ではなくて、むしろ、決算の院参議院だとすれば、衆議院の課題かもしれませんが、国会における予算の修正権がどれだけあるかということが憲法上の論点としても時折提起される点であります。この点について、従来の政府解釈的な国会の予算の修正権というのは非常に限られた枠内でしかないというようなことでいいのかどうか。アメリカなんかでは議会予算局というのがあって、行政と議会と、それぞれが予算についてある程度審議する独立の組織があってもいいんじゃないかというようなことについてどうとらえるかということは、是非本院で検討すべき点であろうと思います。
第二点は、現行の憲法八十六条に規定する単年度主義の問題でありまして、これは、財政規律は強化しなければいけませんから、単に複数年度予算を認めるということで規律を弱めるということではないですが、逆に単年度主義の結果、無駄な事業が年度内処理をされるということで無駄遣いが行われているという側面もあるわけですので、きちっと財政民主主義を貫徹するという前提の下で複数年度予算の導入に道を開いていくことが必要ではないかと思います。
最後に申し上げたいのは、今、藤野委員からもお話がございました、先ほどの地方自治のところで佐藤委員からもお話がありました公の支配であります。
今の小泉政権の一つのモットーでもありますが、民間でできることは民間にと、あるいは公、公共政策の担い手が国だけではなくて地方自治体あるいはNPOやNGO、更に言えば株式会社のような営利組織が公共政策の一端を担うという時代になってきているのが現実だと思います。そういう中で、この憲法八十九条の対象としている領域というのは、実は今後の公共政策の非常に多くを占める社会福祉や教育というような分野をカバーしているエリアでありまして、それを今のような形で公の支配に属している場合のみ公金の支出を認めるという形、これについてもいろんな趣旨、諸説がありますけれども、財政の規律を確保する、一定の歯止めを掛けるという意味においては、これを、現行の政府が求めるほどの強い意味での、中央省庁が法律に基づいて非常に厳格に管理をしているものに限って公金の支出を認めると解するというのは、財政規律の確保の観点からいっても本当にいかがなものなのか。
よく言われるのは先ほども議論が出た私学助成の問題でありますが、例えば私学助成、あるいは教育の分野で言われるところのバウチャー制の導入のようなことを議論するときに、今の政府解釈、あるいはこの憲法の八十九条の規定を読む限り、そういった政策というのは我が国では取り得ないという形になってしまう。これが本当の意味で二十一世紀の日本にとって必要な規定なのか、あるいは解釈をそれは見直すということによって対応するのか。この点は、是非、本院の憲法調査会でも議論を深めるべき課題だと考えております。
以上でございます。
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どうぞ。松井孝治君。
=松井孝治君=
松井でございます。
今、舛添委員からもお話がございましたが、私も複数年度予算というのを認めるべきだというのは先ほど申し上げたとおりであります。他方で、やはり忘れてはいけないのは、予算単年度主義の弊害はありますが、会計年度独立主義というものの一定の財政規律を確保する意味でのメリットもあるわけでありまして、野方図に複数年度予算を認めるというのも問題があろうと思います。そういう意味では、これは諸外国、特にアングロサクソン系で導入されておりますが、やはりニュー・パブリック・マネジメント系のくくりをしっかり制度的に保障した上で、むしろ単年度主義がもたらす税金の無駄遣いというものをきっちりコントロールしていくということが必要ではないかと思っております。
それと、今の行政の予算査定の在り方が、どうしても増分主義といいますか減分主義といいますか、根っこから見直せない。これをやはりその根っこにある根雪の部分の無駄遣いというものを見直せないというところはしっかりと何らかの形で、これは憲法上の要請にするかどうかはまだ種々議論があるところだと思いますが、今おっしゃったような一定の財政の大枠のマクロのルールをどこかが作る。
あるいは、中長期的に、これは参議院の役割かもしれませんが、未来の世代への責任を果たすという意味においてそこの部分をしっかりチェックしていく、その根雪の部分の本当に妥当性というものをチェックしていく。それを単年度のフローでチェックするということではなくて、むしろその制度あるいはいろんな予算、財政措置の根っこに立ち返って評価をする仕組みを持つべきではないか。
それを今のような形で財務省だけに責任を負わせたとしても、財務省も結局各省庁とゲームをしながら予算編成をしているわけでありまして、抜本的な財政赤字の縮減には結局のところつながらないんではないか。そこはやはり特に参議院が、衆議院はどうしても地域代表的色彩も強いわけです。参議院も今の制度上同じような選挙制度が半分はあるわけでありますが、未来への責任という意味でどれだけ良識を発揮して見直せるか、コントロールできるか。しかも、それは毎年度の短期的な視点ではなくて、中長期的な視点でコントロールできるような形を憲法上の規定の整備も含めて作っていけるかが非常に重要な点だと思っております。
以上です。
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