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平成十六年五月十二日(水曜日)
    午後一時二分開会

=会長(上杉光弘君)=
 ただいまから憲法調査会を開会いたします。
  日本国憲法に関する調査を議題といたします。
  本日は、「総論」のうち、「改正、最高法規」について、名古屋大学大学院法学研究科教授の浦部法穂参考人、駒澤大学法学部教授の竹花光範参考人及び京都大学大学院法学研究科教授の土井真一参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。

  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
  本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。

  忌憚のない御意見を承り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。

  議事の進め方でございますが、浦部参考人、竹花参考人、土井参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
  なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
  それでは、まず浦部参考人にお願いいたします。浦部参考人。

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         <省略>
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=松井孝治君=
 民主党の松井孝治でございます。
  三人の参考人の先生方、貴重な御意見ありがとうございました。
  まず、私は浦部参考人にお伺いをさせていただきたいと思うんですが、新憲法の制定手続、具体的に浦部参考人がおっしゃった改正ではなくて、ある一定以上の改正というか、憲法の変更というのは新憲法の制定だとみなすべきだという御判断がございましたが、どういう項目についての変更が新憲法の制定に当たるのかという判断というのがだれによってなされるべきであろうかと、そこについて浦部先生の御意見を伺いたいと思います。

=参考人(浦部法穂君)=
 これは、だれによってといいますか、まず理論的にどこまでが現憲法の一体性、同一性というものを確保する変更に当たるのかどうかということを、これはまず理論的に検討されなければならない問題だというふうに思います。
  それを具体的に、じゃ手続としてだれが発議し、どういう形で提案するかということについては、これは憲法に規定がございませんので、先ほど申し上げましたように国民の憲法制定権力という、この原則にのっとって、それに適合的な手続を考えていくしかない。その際に、改正規定を援用するということは、これはあり得ることであろう。つまり、国会がそれを発議するということはあり得ることであろうと。ただし、その場合には、それはあくまでも援用であって改正ではないという観点からすれば、それは国民投票における投票の在り方等々も新憲法の制定にふさわしいものにしなければならないというふうに考えております。
  ですから、まず理論的にそれは確定されるべき問題だろうと、こういうことです。

=松井孝治君=
 具体的に御意見をお聞かせいただきたいわけですが、例えば、それでは、今おっしゃっていたようなことを実現するために改正手続に係る規定を改正する、要するに新憲法の創定についての手続ですね。先ほど参考人がおっしゃっていたような要件の変更を憲法に加えるとするならば、それは憲法改正に当たるのか、それとも憲法改正という範疇ではとらえられない新憲法の創設ということになるのか、その点についての先生の御意見を伺いたいと思います。

=参考人(浦部法穂君)=
 改正手続としてそれを加えるということでしょうか。
  つまり、憲法を廃棄するための手続を憲法に新たに加えるということになりますと、少なくとも現行憲法は憲法の廃棄ということを予定しておりませんから、それは現行憲法の枠内の問題ではないということになろうかと思いますが。

=松井孝治君=
 それでは、そうすると、そういう規定を設けることは現行憲法の改正の手続の中では行えないとなると、そういう規定の追加というものはどのような手続において行うべきなのか。要するに、国会における議決の要件あるいは国民投票要件は何に基づいて判断すべきなんでしょうか。

=参考人(浦部法穂君)=
 それは憲法か法律かという趣旨でしょうか。

=松井孝治君=
 はい。

=参考人(浦部法穂君)=
 具体的にそれをやる場合には、これは法的な意味では一種の革命に当たりますので、これは八月革命と同じように法的な意味では革命に当たるということでありますから、そのことを明記した上でそのような提案をするということになろうかと思いますが。

=松井孝治君=
 私、ちょっと個人的には今の解釈はよく理解できないですが、これは継続しても時間に限りありますが。

  そういう意味でも、今おっしゃったような私は浦部参考人の御意見になると、論理的に、少なくとも今の我々国会議員として、国会に身を置く者としては、じゃ、そういう改正をどういう規定で、憲法上のどういう根拠で行うのか、そのことで論理的矛盾を生じてしまうんではないかなというふうに感じましたが、別の質問に移らせていただきたいと思います。

  土井参考人にお伺いをさせていただきたいと思います。

  土井先生もおっしゃったように、一般的に日本国憲法のこの改正手続を判断して硬性憲法と言われています。同時に、正にこの九十六条自身が抱えている問題でもあるわけですが、非常に日本国憲法は簡単概括型と言いましょうか、憲法の規定というものが非常に詳述型ではないですね。必ずしもすべてを規定していない。

  そういう状況の中で、結果として憲法の条文に軽重はないということかもしれませんが、しかしながら、これは本来であれば憲法に規定するべきことなのかどうかというような条項も含めて憲法にあったり、他方で、本来であれば、例えばよく言われるのが公職選挙法の一部などがそうですが、本来であれば基本法的に憲法に位置付けるべきではないかと言われているような部分、これは内閣法や国会法、あるいは選挙法、地方自治法などに相当そのような規定があると思いますけれども、これが憲法典以外に置かれている。あるいはもっと言うならば、本来であれば憲法に規定すべき項目が規定がないということもそうですし、あるいは内閣法制局による憲法解釈によって、本来であれば憲法改正を経て、国民的議論を経て判断されるべき重要事項が、それを経ずに解釈の変更によって行われている、重要事項の政策の変更が行われているという実態はあると思います。

  土井参考人、土井先生におかれまして、こういう事態、要するに簡単概括型の憲法、しかし、その簡単概括型の憲法を変更するに当たっては非常にハードルが高い硬性憲法である。結果として、それが憲法典以外の一般法の中に、本来であれば憲法典に盛り込んでもいいような法律事項が盛り込まれる、あるいは内閣法制局による解釈によってそういう政策変更がなされる、こういう在り方をどう思われるか。

  あるいは、それを踏まえまして、さっき竹花先生の方からは、この憲法改正規定というものをもう少し柔軟にすべきではないかという御意見があったわけですが、土井先生は先ほど来国民の自己拘束ということをおっしゃっていますが、今の日本の政策変更の現状、あるいは政策、統治機構の在り方も含めて、それが憲法以外のところに逃げる方向性があるということについてどう判断され、憲法の改正手続というのを今後どうとらえるべきとお考えか、御意見をお聞かせいただきたいと思います。

=参考人(土井真一君)=
 憲法にどのような内容を盛り込むかということ自体、一つの重要な決定でありまして、日本の場合は、今、松井委員の方からおっしゃられましたように、比較的概括的、抽象的な規定にしていると。その代わりに、余り動きがないようなシステムがよいのではないかというのが元々の案だろうと思います。

  大日本帝国憲法もほぼ同じ考え方で作られている。しかし、各国の憲法を見たときには、中央政府を統制する憲法、あるいは州政府レベルでの憲法等ありますが、非常に詳細なものがございます。民法典や刑法典と変わらないのではないかというぐらい詳細なものがございます。州憲法レベルで言いますと、私がいました、留学でいました州ですと、消費税率とか公債の発行に関する基準のようなまで憲法に書き込もうとする。

  実は、そこのところは何を背景にしているかといいますと、国民の国会あるいは議会に対する信用度の問題なんですね。比較的信用するという立場であれば、抽象的、概括的なことを憲法に定めて、その趣旨を生かして国会で立法化を図ってくれという立場を取るのに対して、非常に議会に対する信用度が低いという国については、詳細にわたってまで憲法で決めて議会を拘束するんだというような立場を取るところがあります。それは、その各国の歴史ですとか当該国民の代表に対する信用度の問題があるというふうに思います。

  現状で、日本国憲法の定めているものが概括的なために、多くの問題が法律問題に落ちていて、憲法の問題が活性化しないという点は、確かに御指摘のとおりの部分があろうかと思います。そこの点は、実は私自身は、最高裁判所の役割との関係でも問題がありまして、最高裁判所がもう少し積極的に憲法解釈を示すということになりますと、当然それでは問題だということになれば、じゃ国権の最高機関で憲法の改正を検討しようかという動きになるんですが、最高裁判所の方がかなり国会のおやりになることに対して敬譲を払っておられるために、事実上かなりの幅を持って認めてしまっている。だから、そこのところが統治機構全体の中でどういう形にすれば議論が活性化するかということは今後考えていかないといかぬだろうというふうに思っております。

=松井孝治君=
  ありがとうございました。

  私も同じような感想を持つわけでありますが、さすれば、それは最高裁判所の憲法判断を統治行為論で慎重にならずに、もう少し活発に憲法判断を最高裁判所によってしていただくという手もあろうかと思いますが、それ以外に、現実の法律あるいは憲法解釈の在り方も含めて、だれかが、この日本国憲法の条文あるいは精神に照らしてそれが適切であるかどうかということを判断する主体が必要なのではないか。それが、しかも内閣法制局のように民主的統制が働かない場所ではなくて、ある程度民主的統制が働く場においてそのような議論がなされるべきではないかと私は個人的には思っているんですが、そのような場があるとしたら、それはやはり国会に置くべきなのかどうか、その点について土井参考人の御意見を伺いたいと思います。

=参考人(土井真一君)=
 内閣法制局はあくまで内閣の法制局であって、その法制局の解釈に国会が拘束されるという筋合いではありませんし、かつ最高裁判所がそれに拘束されなければならないという筋合いでもない。あくまで、内閣がある法案を提出される際に意見としてお聞きになるということだろうと思います。

  国会において独自に憲法の解釈をするために必要な措置を講じられるということ自体は、国権の最高機関としておやりになり得る事柄であって、そこで明確に憲法解釈を示されるということは差し支えないだろう。

  ただ、逆に言いますと、しかし、だからといってその解釈に最高裁判所が拘束されるというわけではありませんので、そういう形で両者の見解が活性化される中で、国民が、じゃどっちの解釈が正しいんだと。どちらの解釈を取るかについて国民投票にかけて意見を聞くべきだというような議論が出てくれば、憲法問題というのは活性化されるだろうというふうに思っております。

=松井孝治君=
  貴重な御意見、ありがとうございました。

  私も同感でございまして、そういう形で国会自身が憲法についての見識を示す必要があるんじゃないか。おっしゃるように、それと、また最高裁判所、司法が示す憲法に対する解釈あるいは評価というものを場合によっては最終的には国民の判断にゆだねていくというような在り方も、今後そういう考え方を憲法にひとつ入れ込むのも私どもとしては積極的に検討すべきであると、そのような感想を抱きました。

  先ほど、これも土井参考人にお伺いをしたいんですが、憲法を変えるそのかぎというものは結局今の状況では国会が持っている。国民は当然それに対してチェックはできるわけでありますが、しかしながら、憲法を変える、その提案をする発議権を国民に持たせるという可能性について土井参考人は言及されませんでしたが、何らかの形で、本来であれば、それは今の現行憲法手続が想定しているように、それは議会制民主主義の国ですから国会が発議権を持つのは当然のことだと思いますが、例えば憲法の改正に必要な国民投票法がこれだけ長い期間整備されていない。明らかに普通の感覚でいえば国会の不作為であり、それは怠慢というそしりを受けてもやむを得ないことだと思います。

  本来であれば、それは、選挙において国民の意思というものがそういう国会に対して判断が下るべきであると考えますが、しかし、なかなかそれが争点にならないという現状であるとするならば、何らかの形で憲法改正についての発議について、国民がそれを発議をする、かぎを開ける、あるいはその開けるかぎを国民が持つ手法というものについて、土井参考人、御意見がございましたらお伺いしたいと思います。

=参考人(土井真一君)=
 国民発案、イニシアチブの制度を憲法改正規定を改正して導入するということも、一つの検討する内容ではあろうかと思います。

  ただ、それをするためにはやはり憲法改正をしないといけないわけで、ぐるぐる回ってしまうという可能性もあろうかと思います。私は、これはもう全く試みに考えているという点で確たるものではないんですが、一つ考えられるのは、法律、立法に関する問題についての諮問的国民投票制度を憲法上許されるのかどうかという問題がございます。国民投票制度で法律の承認を拘束しますと、四十一条の唯一の立法機関との関係で問題があるので、事前にこの案でいいのかどうかというようなことについて諮問的に国民に意見を聞くということの可能性が憲法上の問題になっております。学説はいろいろございますが、恐らく私の記憶では、内閣法制局が諮問的であればできるというような見解をお示しになっておられるんだと思います。

  それとの関係で、憲法改正の問題についても、具体的な内容そのものを諮問的にかける必要はなくて、それは正にその国民投票をやるわけですからなんなんですが、そもそもある問題について改正を国会で検討していいのかと、あるいはこの方向でその検討を始めていいだろうかというようなことを、事前にその国民投票的なものを諮問的にかけて、もし過半数が検討してほしいというふうに言えば政治的に検討をするというような形になり得るということもあり得るんじゃないか。

  そもそも改正の問題を検討するかどうかということ自体を国会の内部でぐるぐる御議論になるというのも一つの在り方ですが、こういう議論を始めていいのかどうかということを意見を聞くというのは、諮問的には可能なのではないかというふうに考え、まあ確実にそうだと言い切れているわけではありませんが、そういうことも考えられるんじゃないかというふうには思っております。

=松井孝治君=
  貴重な御意見、ありがとうございます。

  その意味では、これも土井先生にお伺いしたいわけでありますが、最初に、GHQ案の中に十年に一度改正をするという素案があったというお話を土井先生から伺いましたが、例えば、これは代議制が失敗しているかどうかという判断にもよると思うんですけれども、仮に今の国民の間に現在の議会制民主主義について何らかの部分的失敗があるという判断をするならば、例えば定期的に諮問的国民投票制を導入して、これは憲法問題に限らないかもしれませんけれども、何らかの国民全体の判断を仰ぐような、そういう制度的工夫あるいはそういう政策について土井先生はどのように思われますでしょうか。

=参考人(土井真一君)=
 この十年ごとの会議の招集というのは、実は冒頭、第一のエピソードで申し上げましたジェファーソンの思想を受け継いでいるものだろうというふうに思います。

  現にアメリカの州憲法ではこの種の規定がありまして、二十年か、各州によって違いますが、ごとに必ず憲法改正に関する会議を招集するという形になっております。その場合必ず改正をしているかというとそれはそうではないわけで、取りあえず集まって何もないという状況もあり得るところです。問題は、案件があるときに議論するというのは別ですが、案件がなくても定期的にそういう会議を招集するというのはかなりの負担という部分もあって、理念はそうなんだけれども現実は難しいんじゃないかという議論もございます。

  定期的に何かをするというのはそういう短所の問題もありますので、その辺が適切かどうかということは憲法改正との関係で議論する必要があるところだろうと思います。

=松井孝治君=
  もう時間がありませんから、最後にもう一点だけ土井先生にお伺いして私の質問を終わりたいと思いますが、土井先生御自身は、先ほど浦部先生から御提起のあったような憲法改正についての限界、具体的にこの部分を改正すればそれは改正ということでは読めないのではないかというような点について何らかの限界があると思われるのか。それとも、竹花先生が明確におっしゃったように、そのような限界はないと判断されているのか。その点について御意見を承りたいと思います。

=参考人(土井真一君)=
 法的正当性という問題について限界があるとすれば、先ほども申し上げましたように主権の所在の問題であろう。これは、現行憲法に明治憲法から変わりましたときに旧憲法の改正手続を経ました。それを旧憲法の改正だと見るか、新憲法の制定だと見るかの議論があって、先ほど浦部参考人の方からありましたように、八月革命説とか出ましたのは、旧憲法の規定ですと憲法の改正権者は天皇にあったわけです。ところが、新憲法は国民主権を決めている。じゃ、国民が最高の権力を有するんだ、その根拠はなぜだというと天皇がお決めになったからだということになれば、どちらがじゃ最高なんだという議論があるために、それは法的に連続性が切断されることになるという議論が八月革命説等あったと思います。

  私自身も、憲法について最低限、法的正当性の問題はそこにかかわる問題で、国民主権そのものの変更というのは明らかに革命だというふうに言わざるを得ないと思います。それ以外の規定についての変更の問題は、正当性の問題としては出てこない。

  ただ、それが現在の憲法との同一性という問題からすれば、全く別の内容を持った憲法というのを同じだと言っていいのか、やっぱり新しい憲法を作ったというふうに見るのがいいんじゃないかというようなレベルであれば、それはいろいろな規定がいろいろなものと解されるでしょうけれども、それはそういう改正をしたからといってその改正が無効であるというような議論につながるものではないというふうに思っております。

=松井孝治君=
  ありがとうございました。終わります。

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