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わが兄、高鳥昭憲氏を悼む


それは、先週の日曜、4月14日の夜7時過ぎ、新幹線のホームで東京行きののぞみ号の到着を待つ私の携帯電話に、一本の電話が入りました。

「6時45分でした」

受話器を通した妻の押し殺すような声に、思わずひとつ深いため息をつくしかありませんでした。

それは私の義兄の訃報でした。

中学・高校、大学、そして通産省における先輩であり、私が心から尊敬する官僚であった、高鳥昭憲氏は、4月14日、午後6時45分、他界されました。享年45歳でした。

氏は、私心なく、天才的に頭脳明晰なる人物でした。洛星中学・高校では開闢以来の秀才という名声をほしいままにし、東大法学部を経て通産省に入省されました。

いつもいち早く時代の潮流を読み、その的確な分析と政策提言は群を抜いていました。

彼が、今日の小泉内閣の構造改革路線の源流を提唱したのも、また、政治改革の次は、腐りきった官僚制度の改革、行政改革が政治のアジェンダになると看破したのも、同じ1993年のことでした。

霞が関の官僚のみならず政界、経済界に幅広い知己を有し、大地を揺るがすほどの行動力をもった真の国士でした。その頭脳にもかかわらず、心寛く、思いやりにあふれた人物でした。

上司にめっぽう厳しく、後輩や部下に対しては、面倒見のよい人情家でありました。

1年3ヶ月前に死の病であることを通告されながら、おそるべき精神力で一年半にわたり激しい痛みと堂々と格闘されました。最後の最後まで職場復帰を信じて闘っておられました。

私もあらゆる非西洋医学の知人を頼って彼の復活を祈りましたが、ついに及びませんでした。

唯一の救いは、高鳥氏が、死の前日、同期の親友である高原氏と奥様、お母様の前でおっしゃったという、

「ああ、仕事もやりたい放題やったし、皆とも本当に楽しく笑いあった。いい人生だよな。何も言うことはないよな。」

という一言です。この言葉で長期間看病をされてきた奥様をはじめとしたご家族など周囲がどれだけ救われたかわかりません。

病院の霊安室でその安らかなお顔を眺めながら、今にも、高鳥氏が目を開いて、あの深い、思慮に満ちた声で、

「松井君、僕はやれるだけのことをやったよ。思い残すことはないよ。でも今の日本はどうだ?このどうしようもない行政と政治の流れを変えられるのは君たちの世代だよな。今ならぎりぎり間に合うんじゃないか」

と、語りかけてくれたような錯覚に陥りました。

何ゆえに、かくもすぐれ、やさしき人物が召されるのか、正直、告別式が終わった現時点でも気持ちの整理がつきません。

しかしこれも天命なのでしょう。そう思わずにはやり切れません。

ひとりの官僚が天に召されましたが、その思いは必ず受け継がなければなりません。

最近の政治の動向にはいささかうんざりする毎日です。

しかし、政界にも、官界にも、経済界にも、言論界にも、多くの国士は存在します。

同士が、この国の政治や経済のお互いの揚げ足の取り合いにかまけるような状況にへこたれず、われわれの世代が、自らの原点を見つめなおして、この国の政治と行政を変えていかなければなりません。

2002年4月23日               松井孝治


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