もう一つの長野 

改革派官僚は政治家を目指す

朝日新聞アジア総局 山田篤史
Asahi Shimbun Weekly AERA 2000.10.30


チェンマイで取材中、携帯電話が鳴った。

 「通産省にいたMです。昨日付けで役所を辞めました」

 参議院選挙の候補者に推す動きがあり、役所勤め17年に終止符を打った。民主党から出るという。公認のめどは立っていないが、エイヤッと跳んだ。

 首相官邸や行革委員会で仕事をするなど、役所流にいえば「八十三年組の次官候補」だった。

 彼とは永田町の外れにある政策NGOの会議室でよく顔を合わせた。大蔵省、建設省、文部省などの若手が集まり、ウーロン茶とコンビニおにぎりで深夜まで政策を語り合った。彼らは「改革派官僚]と呼ばれていた。

 役所の外で政策を練る。それにはわけがある。役所の内側から、みずみずしい政策が出にくくなっているからだ。高度成長の一本道なら、先輩の後を追えばよかったが今は違う。過去を問い直さなければ新しい政策は出てこない。役所はしがらみが多く、先輩の批判や自己批判はしたがらない。

 改革派にもジレンマがある。影響力を得るには要職に就くことが望ましいが、上に上がれば上がるほど組織への忠誠を求められる。

 「官僚は借家人」と彼は言う。部屋の模様替えはできても、間取りを変えたり、家を建て直したりはできない。官僚が設計図を描いた時代もあったが、これからは政治家の仕事だ。

 田中康夫が長野知事になる時代だ。官僚県政を有権者が見限った。官僚作文の棒読みしかできない国政担当者にも国民はうんざりしている。

 民意の変化と同様、霞ヶ関もすそ野から変わり始めている。組織の制約を超えて政策つくりをしたい若者が現れてきている。

 政策を語れる政治家、的確な政策を示せる官僚を時代が求めているのは確かである。


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