| 霞ヶ関よりベンチャーだ |
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通産省人材流出の激震 |
| 櫛の歯が抜けるように通産省官僚が辞めている。ベンチャーへ、政界へ。 いずれも課長クラスの優秀な人材が外を目指す背景は何があるのか。 |
| Asahi Sinbun Weekly AERA 2000.11.6 より |
| 四十歳代を有効に使いたいと、通商産業研究所研究体制整備室長の松井孝治(まついこうじ)さん(40)が通産省を辞めたのは10月3日のことだった。来夏の参院選に民主党から立候補するというのが理由だが、党の公認がとれたわけではない。霞ヶ関官僚が、野党の民主党から立候補するのは珍しいことではないが、選挙区の調整もまだ決まっていないのに通産省を飛び出したのはどういうわけか。
松井さんは1983年に東京大学教養学部を卒業し通産省に入った。学生時代には通産官僚らが登場する城山三郎の『官僚たちの夏』を読み感動した経験もある。だが、それ以上に、国際的視野に立った経済政策に取り組みたかった。 省庁間の調整で疲弊 35歳を前に一度退職をほのめかしたことがある。その時は上司から、 「もう少し目を開いていろんなモノを見てみろ。それからでも遅くない」 といわれた。確かに、その後の首相官邸での経験や、橋本龍太郎首相のもと行政改革会議調査委員として行政改革に携わったことは、松井さんの視野を広げるには十分だった。 ただし、松井さんの中に澱(おり)のようなものが溜まっていったのも事実だ。自分の政策が省庁間の調整や政治的な利害によっていびつなものにゆがめられてしまう。自分自身も含め、思う存分働きたい盛りの年齢で、その調整と根回しで疲れ切ってしまう。 結局、政治側からのリーダーシップがなければこの構造は変わらないという思いにたどり着く。 「自民党だと当選して十年は雑巾掛けをせねばならず、その間に結局多くのしがらみに縛られることになる。その点、民主党は和会だけに既存の利害にとらわれれず思い切り働ける」 ここにきて、松井さんのように、将来の通産省を背負って立つ働き盛りの通産官僚が立て続けに辞めている。政治への転身もさることながらベンチャー企業に移る人も少なくない。 周囲に波紋を広げたのが、安延申(やすのべしん)さん(44)の場合だ。電子政策課長として、沖縄サミットの「IT憲章」づくりを進めた78年入省組のエース的存在だった。9月から米国スタンフォード大学の日本センターに通っているが、いずれIT関連の事業を起こすだろうと言われている。 安延さんが、 「IT関連の仕事に接していて、これからの日本経済にとって重要になる分野で、もうちょっといろいろやってみたいという欲求がでてきた」 と語るように、IT関係の業界と接する機会が多いだけに、ベンチャースピリットが触発されるのかもしれない。 官僚よりダイナミック 松井さんと大学時代に同級生だった村上世彰(むらかみよしあき)さん(41)も、生活産業局企画官だった99年7月に40歳になったのを機に退職し、現在はM&Aコンサルティングを経営している。今年初めに、不動産・電子部品会社「昭栄」の株式の公開買付(TOB)を仕掛け、話題を呼んだ。 松井さんとは、 「ゆくゆくは天下を動かそうぜ」と誓い合った仲。株式交換や企業合併・買収(M&A)についての法制業務を担った。今までは国が産業や企業が引っ張ってきた。しかし今はマーケットがその決定権を握っている。ならば、自分が賭ける場は官の場ではなく、市場ではないか。村上さんは言う。 「良い国づくりに関与している優越感というのかな。そういう危害を常にもち合わせているが、それが官の世界からマーケットの世界に変わっただけですよ」 今年9月に投資を含むベンチャー企業の支援事業を手がけるネットイヤー・ナレッジキャピタルパートナーズに代表取締役マネージングパートナーとして林幹浩(はやしみきひろ)さん(41)が加わった。東京大学工学部を卒業、松井さん、村上さんと同じ八十三年に入省。大臣官房企画室や産業政策局などを経験し、89年から91年まではアメリカのニューヨーク大学に留学した。昨年11月に同グループの創業者で代表取締役CEO(最高経営責任者)の小池聡(こいけさとし)氏と出会い、政策的な議論を交換しているうちに小池氏から誘われた。 「最もダイナミックなところに自分を関わらせたいと思うことは人間として自然じゃないですか?」 林さんは退官した理由をそう説明する。 ダメ企業ほど役所頼み それにしても、通産省はそれほど魅力のない官庁になってしまったのだろうか。 評論家の田原総一烽ウんは85年に、週刊誌で「新・日本の官僚」を連載した。当時の連載記事ですでに通産省の地盤沈下について触れている。 田原さんによると、80年代に入る前は、国家が産業、企業をを育成、発展させた時代だった。日本の自由化が本格的になり、起業が力をつけてきたのに伴い、通産省の役割も変わってきた。 「いまや通産省が関わっている企業はダメな企業という烙印を押されかねない。これからの日本の将来を担おうという企業はみんな通産省から遠ざかっていますよ」 いまや企業が相談するのは通産省ではなく、民間のコンサルタント会社だ。特にベンチャー企業に通産省離れが目立つという。 ヒトも変わってきた、大学で一番優秀だった人間が官僚になるコースは特別ではなくなったのだ。それこそベンチャーで自分の力を試そうと優秀な人間が民間に流れている。 もうひとつ、田原さんは留学によって目を開かれる官僚も少なくないという。 岡山市長の萩原誠司さん(44)は83年から2年間、米プリンストン大学に留学し、官と民の自由な交流に刺激を受けた。 情報政策企画室長を辞めたのが98年7月、岡山市議会の保守系市議や卒業したOBらから要請を受けてのことだった。選挙というリスクを背負っての退官。 「都市行政に経営的なセンスを取り入れたかった。政治への想いが心のどこかにあったのかもしれない」 辞めるなという周囲を説得して、99年1月の岡山市長選挙に立候補し、3選を目指す現職を破った。 94年から95年まで萩原さんは人事採用担当だった。新しく入省してきた新人に言い聞かせてきたのは、 「一生、この役所に居続けようと思って仕事をするなよ」 ということ、もともと荻原さんの中にもそのような気持ちがくすぶっていたのかもしれない。 通産官僚の転身が相次いでいることについて荻原さんは、 「昔と比べて組織の中でステップアップするスピードが落ちている。特に三十代、四十代で思い切り仕事をしてみたいという気持ちが必ずしもいかされていない」 通産省を辞めた人間一人ひとりの話を聞くと、確かになるほどと思う。しかし、なぜ78年から83年にかけて入省した世代が続けて辞めていくのか。 臨調、政権交代も背景 現職官僚の菅原郁郎サービス産業課長(43)は、彼らが入省した80年代という時代背景を挙げる。81年から始まった土光(どこう)臨調という存在の影響が大きい、という。予算は伸びるもの、要求すればつくものという時代は終わりを告げる。 疑いもしなかった既存の制度に対して、いろいろな批判もあるのだという情報の嵐にもまれた世代だというのだ。 55年体制が崩壊した93年、彼らは各局総務課の法令審査員、いわゆる政策をコントロールする最前線にいた。官僚として腕の見せどころと言ってもいいポジションだ。しかし、細川護煕(ほそかわもりひろ)政権は半自民の連立政権。ここでもダメを押されるように発想の転換を強いられ、役人としての常識を変えざるを得なかったというのだ。 辞めた人間が一様に口にするのは、通産省ほど自由な組織はないということ。若い時から言いたいことをいい、先輩と議論が出来る気風がある。 93年と言えば、当時の内藤正久(ないとうまさひさ)産業政策局長が、やはり当時の熊谷弘(くまがいひろし)通産相に事実上解任されたことにはじまる政争と省内の派閥がからんだ一連のゴタゴタ劇が続いたころ。そのような人事抗争が、若手官僚の閉塞感を生み出す原因にもなったようだ。 最近の官僚バッシング、政策を知らない政治家が唱える政治主導、権限も人間も削り取られていく行政改革。官僚としてのモチベーションが下がらざるを得ないというわけだ。 そうは言っても、と菅原さんは言う。 「通産省はパワフルな組織だし、こういった人たちが動いて与える世の中へのインパクトはそんなに捨てたもんじゃない」 残留組にも「改革派」 最近、入省7~10年目で通産省を辞め、やはりベンチャー企業に走る若手官僚が何人かいる。菅原さんには彼らの心理は理解できないという。 「彼らは自己実現という言葉を使うが、自分のための実現という感じがしてならない。松井氏や安延氏らの自己実現は、国家や国民のためという大義名分が伴なっていた」 出ていく人間だけが「改革派」ではない。閉塞感や危機感を感じながらも、中から変えようとしている若手官僚は少なくない、 ある通産官僚は、 「省内でリスクを背負ってどこまでやったのかと言いたい。そこまでやらずに組織が悪いとか上が動かないとか言っても自己正当化にしか聞こえない。僕はギリギリまでやってみてそれで失敗したらハラを切る覚悟でやっていく」 羽藤秀雄(はとうひでお)報道室長は、 「一連の退職者の報道で、まるで通産省がキャリアアップの場としてあるかのように思われるのは大変心外。いみじくも国民の税金をもらって仕事をしている以上、そんなに軽い場ではない」 たしかに民間との接点が大きい分、通産官僚だけがクローズアップされているが、今後は通産省をはじめ霞ヶ関の人材流動化はもっと進んでいくだろうというのが関係者の一致した見方だ。 さらに霞ヶ関を回っていると、聞こえてくるのは、 「今の首相官邸は最悪」 と言う声だ。ある官僚はつぶやいた。 「今の政権に対する絶望感が彼らの背中を押している面はありますね」 写真説明文
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