東京新聞 2000年12月30日

2001年  省庁再編  変わるか日本

官の自己変革 進まず

機能不全


 この十月、キャリア官僚が十八年の役人生活に終止符を打ち、通産省を去った。

橋本政権時代、首相が会長を務め、政治家や学者らで構成する政府の行政改革会議の事務局員として省庁再編作業に携わってきた元通産研究所総括主任研究員、松井孝治さん(40)である。

「行革でやり残したことがある。この国の形を根っこから改革したい」。それには、国の針路を決める政治の世界に身を置くしかない-----が理由だった。

 行革会議は「簡素で効率的な行政機構の確立」を目指し、二十二省庁を一府+二省庁に再編、公務員を二五%削減、などの改革メニューを並べた。

政府は組織のスリム化が図れると自賛しているが、政策立案などを通じて内閣を支えるはずの官僚機構改革はほとんど手つかずのままだ。

 新藤宗幸・立教大教授は「国という母屋の改築に目を奪われ、国と地方の役割分担や「官僚は政策立案にどうかかわるべきか」といった土台づくりを先送りしてしまったため、行政機構の形が一見変わっただけで、魂を込められなかった」と手厳しい。

松井さんが「やり残した」という思いも、この点にある。

 戦後、日本の官僚は経済復興のリード役として、中でも長く続いた自民党一党支配の五五年体制の下では、政治家の官僚依存体質も手伝って一官高政低一をおう敵してきた。

しかし、バブル経済が崩壊して以来、霞が関の政策運営は失敗と先送りの繰り返し。

九三年の自民党下野、細川連立政権が誕生してからは、政治の行政への介入にどう対応したらいいのか戸惑い、いまなお自らの役割を見失ったままだ。

 官尊民卑、裁量行政……、霞が関を椰楡(やゆ)する言葉は枚挙にいとまがない。

外部の意見に耳を貸さずに独善に走り、結局は”官僚たたき”という返り血を浴びてしまった霞が関の機能不全を、どう治療していけばよいのか。

その方策の一つとして、民間人の積極登用が注目されている。

 コスト意識を官僚に植λつけ、併せて旧来からの官僚組轍と距離を置いた自由な立場からの政策提言が期待できるからだ。

現在開会中の臨時国会では省庁再編の一環として、民間人を期限を区切って高額給与で採用する「任期付き任用法」が成立し、民間活力導入への環境整備が進められている。

しかし{且原側に、ポストの削減を招き、省益を侵してまで新たな人事制度を積極的に進める気配はない。

 こうした官僚組織の分厚い壁を破り、民間人の積極登用を促すため、松井さんは行革後「ポリシー・プラットフォーム」という構想を打ち出した。

経済成長期には機能してきた官僚システムは今やその幕を閉じた、というパラダイム(養値観、思考の枠組み)の麦化を受けて、「霞が関に競争原理の導入」が構想の柱だ。

具体的には、通産研究所を官僚、民間人を問わず、個人レベルで政策提言できる官民横断型シンクタンクに衣替えし、政策立案競争をバネにして沈滞しきった霞が関の改革につなげていくとの発想だ。

 省庁再編は国家百年の計だというのに、本格議論のために与えられた時間はわずか一年。

「行革本部も官僚機構を改革しなければならないという問題意識はあったが、省庁をどう組み合わせるかという利害調整ばかりに時間を費やしてしまった」と松井さんは振り返る。

 国家財政が破綻状態にありながら政治に確たるリーダーシップがなく、新しい官僚像を描けなかったがゆえに、官僚たちは「象徴の権益を守る事が評価される人事システム」の呪縛(じゅばく)から解き放たれないで居る。

「官僚は国にとって借家人の人のようなもの。

部屋の内装は変えられても、国という建物は帰られない」。

そう思い知らされた松井さんは、今、政界進出の準備を着々とすすめている。(経済部・池田実)


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