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朝日新聞朝刊 2003年8月12日(火) |
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日本再生 ソフトパワーへの転換を |
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私の視点 |
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「失われた十年」。この数年間最も日本人に愛された′セ葉かもしれない。しかし、そろそろこの言葉の呪縛を解く必要があるのではないか。この国の深刻な問題の一つは、日本人全体があまりにも自信を失い、常にうつむき姿勢で物事をとらえていることにある。いまの永田町や霞が関、兜町、大手町にあふれる悲観論と諦観では百年待っても日本は変わらないとすら思えるほどだ。 経済が成熟化し価値観が多様化する中で、物質的な価値を社会の繁栄や幸福の尺度とすることには明らかに限界が見える。衣食≠フ先にある国民の「幸せ」感、充足感は、非物質的な要素の方により鋭敏に反応している。 「千と千尋の神隠し」のアカデミー賞受賞など、「ジャパニーズ・クール」として国際的な注目を集める日本の現代文化。相次ぐ日本人のノーベル賞受賞。サッカーや野球、水泳選手の国際的活躍。経済的には喪失感がある十年の間に、日本人としての誇りや夢はむしろ膨らみつつある。 戦後の日本は、国中にミニ霞が関、ミニ永田町、ミニ東京を作り出してきた。各地に無数にある「○○銀座」や良く似た駅前風景を見ても、地方における「県庁・地銀・電力」という雇用御三家の構造を見ても、「金太郎飴国家」が浮き彫りになる。おまけに日本自体がミニ米国を目指しているような風潮もある。 日本がいま追求すべきは、米国の力の経済や軍事力に代表される「ハードパワー」ではなく、日本ならではの「知」と「美」にあふれた「ソフトパワー」、しなやかな強さではないか。 六本木ヒルズの都会的センス。東福寺僧堂・石庭に静かに沁み入る老大師の法話。下町・立石の居酒屋の洒脱と里山に囲まれた丹波・綾部の農村に息づく人情。日本には十分に様々な個性と美しさがある。 問題は、国民の価値観の変化が、政治や行政の意思決定に反映されていないことにある。だから教育や就業といった社会的制度や慣行も、変化に対応できていない。結果として、国民には政治・行政に対する不信と不満がたまる一方だ。 政治・行政にとって急務は、価値観の変化を国民の内心にとどめず、それらに社会的パワーを与えていく作業ではないか。例えば河合隼雄氏は関西「文化力」構想を提唱している。関西は、東京の「経済力」とはあえて違う土俵で勝負しよう、そういう発想だ。 人々が環境に大きな価値を認めている今、例えば、五年後までにさらに排ガス規制を徹底強化することにする。世界一空気のきれいな大都市を実現しつつ、世界一の環境調和型自動車産業を育てる。そんな発想で「環境力」を社会に組み込むことはできないか。 建前は厳しくても実態は極めて甘い「なし崩し型」入国管理政策を改め、真剣に学ぶ意欲と能力のある人であれば、日本人であれ、外国人であれ、区別なく世界最高の教育を提供して、世界中から優秀な人材が日本に集い、学び、そして定住するような「人材力」強化計画はどうだろう。 外観規制の強化や環境保全で、日本ならではの「景観力」を磨くとともに、「地産地消」で作り手の顔が見える農業を復権させ、日本の伝統的食文化も見直す「農力」開発だって考えていい。 旧通産省職員から国会議員という道を歩んできた筆者自身の体験で考えても、典型的なハードパワーである霞が関と既成業界の利害調整方式では、こうした社会的価値の転換には対応できない。政府の意思決定システムを、しがらみがなく大胆迅速な決断が出来るよう、首相官邸によるトップダウン方式へと改めなければならない大きな理由はそこにあるのである。 |