【2005年2月12日 毎日新聞朝刊 掲載】


〜 「村山談話」は生きてるか 〜


 <京都から、この国のかたちを変える>という表題のメールマガジンは、民主党の京都選出参院議員、松井孝治の発信だ。今年最初の1月17日日付第108号は、<10年前、私は首相官邸に勤務していた(旧通産省出向)関係で、村山内閣の戦後50年談話作成の経緯を多少承知しています‥‥‥> と前置きして、この談話に盛られた戦争責任の政治的歴史検証を行うべきだ、とかなり重要な問題提起をしている。

 <村山談話>といっても忘れかけている人が多いだろうが、自社さ連立政権のもとで首相に就任した社会党の村山富市委員長が、辞任のあと 「戦後50年の節目なんだから、8月15日を契機に、何らかの談話を出そうということにしたわけじゃ。まぁ、抵抗もあったけど、これくらいのことができんようじゃ、ぼくが総理になった意味がないからなぁ」(著書「そうじゃのう」で) と語ったように、相当力がこもっていた。

 すでに故人の野坂浩賢官房長官が書き残したところによると、慣例上、<首相の談話>は個人的見解、しかし、<首相談話>は正式の政府見解を意味する。野坂は何としても<の>抜きで、と提案した。
 だが、そうなると、全会一致の閣議決定が必要になる。野坂は閣議に先立って、島村宣伸文相、平沼赳夫運輸相、江藤隆美総務庁長官らタカ派とみられた閣僚を一人一人回って、 「談話に批判的発言をしないでいただきたい」と頼んだ。自民党総裁の橋本龍太郎通産相には、村山首相が直接話した。

 閣議の席では、古川貞二郎官房副長官が案文を読み上げたが、議論になりそうなのは、
<わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人びとに対して多大の損害と苦痛を与えた。私は、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からおわびの気持ちを表明する‥‥‥> の個所だった。村山によると、内部で<侵略戦争>にするか、という議論があったが、抵抗が強すぎると<侵略>だけに落ち着いた。 読み終わったところで、司会役の野坂が、

「意見のある方はご発言ください」

 と2度繰り返したが、発言はなく、全会一致で決定した。野坂らは、異議を申し立てる閣僚がいれば、内閣の方針に合わないとして、即刻罷免するつもりでいた。それを全員が察知していたらしく、 「あれでは文句を言いたくても言えない」 とぼやく閣僚もいたという。
 さて、<村山談話>はいまも日本政府の公式見解として生きている。しかし、と松井のメルマガが言う。 <現実にそうなっていないのは、最近の小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐる議論をみても明らかである>と。さらに続く。

<戦後生まれの私の世代から見れば、時の総理の個人的歴史観によって、日本政府の立場が大きくぶれること自体が、わが国の国益を損なっている部分が大である。
先の大戦を経験した世代の指導者の方々は、この問題の総括を必ずしもしておられない。ご健在なうちに、タブーなき議論を行っていただきたい>

松井は1960年生まれ、すでに戦後世代は国会議員の半数以上を占めている。戦争体験派は、戦後60年を機に、後輩世代の求めに答えるときだ(敬称略)

 

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