| 論座 2000年11月号掲載 |
|
霞ヶ関からピラミッドの解体を |
|
脱ヒエラルキー型の政策創出システムへ |
| 元通産研究所総括主任研究官兼研究体制整備室長 松井孝治 |
| 私は、大学卒業後、もっぱら霞が関に身を置き、通商産業省を中心に内閣官房、行政改革会議事務局などで行政経験を積ませていただいた。
学生時代に城山三郎氏の小説「官僚たちの夏」に感動し、通産省の門を叩いた想い出は今でもまるで昨日のことのように脳裏をよぎるが、あれから早十八年の歳月が流れた。 私が憧れを胸に通産省の門をくぐった理由がそこにあるように、我が国の官僚制が、その強固な組織力、情報収集能力、経済界への影響力、そして自らが国家を支えるという強烈な自尊心をもって、特に戦後の復興、成長期に経済政策、社会政策を中心に目覚ましい役割を果たしてきたことは今更説明の要はないであろう。 私のような跳ね返りが二十年近くもこの官僚組織に在籍できたのは、ヒエラルキー組織としては例外的に、先輩後輩の区別なく国士を気取って自由に議論のできるこの役所、あるいはある時期までの霞が関の気風によるところが大きかったのだと思う。 しかし、我々の世代までがぎりぎり享受してきた官僚制のこの心地の良さ、若い頃から政策に参画し、私企業の個別利益ではなく、天下国家の利益を考え、好きな政策論議を行うことによって給料を得られるという、政策マンにとってはこの上のない理想の職場が、急速に若手官僚からの支持を失いつつある原因は何処にあるのだろうか。 通産省、霞が関に代表されるヒエラルキー社会が今大きな試練に直面していることは間違いない。
ここ数年、城山氏が四半世紀前にその小説において描かれた「官僚たちの夏」は明らかに過去のものとなったかに見える。 各種の不祥事の頻発に加え、政策の失敗も重なり、われわれが憧れて入省したところの官僚への社会的信頼は見事に崩壊した。しかしながら、このことは、実は一に官僚制度だけの問題ではなく、戦後日本社会が抱える問題の縮図、戦後日本モデルの終焉とも言うべき問題と考えられる。 言うまでもなく戦後日本は、各種戦時体制や封建的農地制度、財閥制度、さらには「家」制度など従来の経済社会的な拘束から解放され、戦後の荒廃から復興、高度成長へと一丸となって邁進した。 深刻な挫折に端を発しつつも、近代史上、明治維新期に次いで日本民族のエネルギーが白熱し、眩いばかりの光彩を放ったこの四半世紀、官僚は各方面の利害の集約・調整、社会的な目標の設定とその実現に大きく貢献した。 しかし、高度成長という国家的目標を成し遂げた後のこの国の経済社会運営を、後世の歴史家はいかに評するであろうか。 戦後復興や高度成長に適した諸制度の温存、企業・官庁を問わない縦割り組織とその組織内における終身雇用・年功序列方式による結果の平等の確保は、単に社会的に創造性や独自性の持つ価値を虐げるのみならず、国家としての規律の喪失の大きな要因になってはいまいか。 個別の産業界の発展の積み重ねが、国民経済全体のより大きな発展につながる、各人が持ち場持ち場で全力を尽くせばその先により大きな成果が期待できるという考え方が、いつの間にやら、局所局所、或いはその時々に直面する問題点を解決できれば、全体の、あるいは中長期的な問題には目をつぶるという局所優先的な思考、マクロ的な規律の欠如、集団的無責任体質に転化してはいまいか。 現在の膨大な財政赤字とそれについての社会的な責任感の欠如はまさにそうした問題の象徴であろう。 そしてこの持ち場持ち場主義をもっとも象徴しているのが分担管理とコンセンサスを基軸とした官僚制の意思決定システムとみることが可能である。 私は、この二十年間の政策の最大の失敗は、国民の社会参加のスタイルを、大組織一員型から変更できなかったこと、ポストヒエラルキーモデルを提示できなかったことにあると考えている。IT革命にせよ、ベンチャー振興にせよ、教育改革による創造性の涵養にせよ、その根幹部分に手を加えなければすべての改革は表層的なものにとどまるであろう。 我々官僚が今なすべきことは、個別の政策論もさることながら、社会を自己完結性の強いピラミッド型組織の集合体から、より開放的で、相互の連携のとれたネットワーク型のものに変革していくことである。 自らの組織および意識改革、官僚制の再構築を行うことができない政府にコーポレートガバナンスの改革を語る資格はない。 本稿で私が提案したいのは、省庁再編などの組織改革をハードウェアと見立てた場合、むしろ行政改革のソフトウェア部分、特に意思決定システムの抜本的な改革である。
霞が関の意思決定は多くの大企業・大組織と同様、基本的にボトムアップのコンセンサス方式によって行われている。 霞が関のあらゆる業務は「分担管理原則」に則り、各省庁各課室に担われており、基本的に全ての政策分野、すなわち森羅万象は必ず霞が関のどこかが担当しており、各々の権限や責任分野に空白領域もなければ、重複もないという建前になっている。 通産省に関する限り、ほとんどの政策はこの各課室の発議によって立案されてきた。 現時点では霞が関には特定の政策分野に責任を持つ(多くの場合“専権的”に所管する)課長・室長職が千人以上も存在し、各々が、必要に応じ連携し、あるいは政策的な議論を闘わせながら、自らに与えられた所掌職務を履行している。ところが、近年、多くの行政課題は、極めて広範かつ多様な行政分野に関わりをもつようになっている。 かかる環境下でのボトムアップ、コンセンサス方式での意思決定はいかなるものになるだろうか。
霞が関において官僚が個別に政策的な問題意識を有するに至ったとき、通常三十代前半の課長補佐クラスが政策の原案を描くことが多い。 各課長補佐の作成した原案はまず課内においての議論、さらには局内における課長補佐クラスの議論の対象となる。最近のように各種の政策課題がクロスボーダー的に錯綜するものであると、調整は局を越え、省内数局にまたがることも多い。 これは官僚制のよき部分でもあるのだが、課長補佐クラスの責任感は旺盛で、時に数ヶ月にも渡り何度も会議が繰り返されることも珍しくはない。 補佐レベルでの会議で一応の成案を見ると、次には課長クラス、さらに総務課長クラス、審議官や局次長クラスの会議を経て、局長に案件は上がり、官房長や、事務次官、さらには政務次官や大臣にも説明を行った上で最終的には省議と呼ばれる大臣以下の全体会議で意思決定が行われる。 これに並行して、課長補佐レベル、課長レベル、局長レベルなどで各省庁折衝が行われ、事務次官会議、閣議と進んで政府としての意思決定が行われる。 かくして原案作成者が第一案を作ってから最終決定に至るには同一省庁だけでも十段階近くの「クリア」と呼ばれるステップが必要であり、他省庁協議や与党審査も加えれば、およそ原案の跡形もなくなるケースも決して珍しくない。 また、複雑な社会的利害を調整するような政策課題の場合、通常政策形成過程において各種の利害関係人や有識者が参画した政府審議会における検討が行われることが一般的なので、重要法案の策定には最短でも通常一年、長ければ数年を要することがほとんどである。 こうした調整はその決定に極めて長時間を要することに加え、政策の内容を玉虫色の曖昧なものとしてしまいがちな問題点を有する。 霞ヶ関における調整は一貫してすべてコンセンサス方式であり、省庁間で利害対立のある案件は、全て当事者が納得がいくまで話し合われるか、問題が先送りされることになる。 若手官僚の作成した先鋭な問題意識が省庁内部の決済のプロセスにあって、また、利害の異なる省庁間の調整により、どんどん「洗練された霞が関文学」に磨き上げられ、結果として彼らに残るのは徹夜の連続と自らの原案の意図せざる変貌による疲弊感、虚無感のみというのが決して例外的とは言い切れない状況である。
かくいう筆者自身もある時期までこうしたプロセスをごく当然のものとして受け止めていた。しかし、私が内閣官房に出向し、内閣副参事官として官邸勤務を経験した際に、その認識は全く新たなものとなった。 私の職務は首相の施政方針・所信表明演説や各種の国会関係事務、首相のスピーチのメモ作成などであったが、通常原案が首相に上がるまでに実質的に手を加える人物は多くて二,三人、所要時間は長くても一週間であった。 無論、総理演説など内閣の公式な文書の調整では、一人で全省庁を相手に調整するので必ず一週間ほどは徹夜に近い日が続くものの、霞が関の各省庁調整とは比べるべくもない。 官僚組織=ピラミッド型のヒエラルキーという、これまでの常識が覆されるとともに、非公式なメモ出しの場合には、自分の書いた原稿がほとんどそのまま首相発言になるというような経験もし、それが大きなやりがいになり、激務も全く気にならず非常に張りつめた二年間を過ごせた。 詳細な制度設計にはもちろん官僚組織による穴のない緻密な議論が不可欠であるが、政策的に思い切ったアイディアを企画する場合などは、日本のように少数の官邸スタッフというのも、およそ官僚組織からは出ることのない発想を生むことが少なくなく、逆に思わぬ効果を上げたりもするのだ。 例えば村山内閣における戦後五十周年談話などは、さる首相側近の大物官僚がひたすら首相の意向を体して、週末に親しい学者とだけ相談して書き上げられたものであり、その内容には賛否両論はあるものの、およそ官庁文学では作成し得ないものとなった。 橋本行革の発案も類似の官邸主導のイニシアティブである。 そして実はこのダイナミズムこそ現在の日本の政治にもっとも求められている要素であり、各国の政策アジェンダ設定の国際標準ともいうべきスピード感なのである。 我が国では依然として例外的な、この非ヒエラルキー型意思決定を何とかより広範な政策分野に応用できないか、それが官邸経験を踏まえた私の、いまだに叶わぬ念願である。 官邸での経験でもう一つつくづく思い知ったことは、各省庁の行動原理である。 政治の優位が叫ばれる今日でも、官僚側は首相や大臣を行政各部すなわち各省庁の一時の長として遇しているとしか見ようがないケースが多いのが悲しい現実である。 我々役人は入省した頃から、先輩から口酸っぱく行政の「中立性」を叩き込まれる。そしてその際の最大の「仮想敵国」が、まさに「官僚たちの夏」の主人公が語るように、「政財界の個別利益」なのである。 私は、現実に過去の多くの局面において、官僚が政治家に抗しながら正しく中立性を守ってきた事例の数々を決して否定するものではない。 しかし、首相の方針が極めて巧みに換骨奪胎されていく事例を目の当たりにするにつけて官僚は一体誰に仕えて働いているのであろうか、その説明責任の相手は誰なのであろうかと疑問を抱くことが少なくなかった。
ここで誤解を避けたいのは、一部マスコミなどで批判されるように、多数の官僚が私益に走ったり、悪意で政策運営を行っているわけではないということである。 官僚個人の勤労への姿勢は大抵の場合極めて生真面目で、能力的にも優秀な人間が圧倒的に多い。 それが結果として上述した事態を惹起しているのは、やはりシステムに問題がある。 二十二才の春に中央官庁に入省し、三十年余り閉鎖的なピラミッド社会の中で行政に携わり、その後も官庁の斡旋で六五才程度まで関係団体に帰属するという典型的な官僚の人生は、極めてゆっくりと、しかし着実に、多くの優秀な官僚のマインドを国益から省益へ、省益から局益へと導いていく。 しかも彼らはその省益、局益こそが国益であると信じて疑わないのである。譬えて言えば、多くの官僚にとって、役所の権限は先祖伝来の土地のようなものである。 私利私欲ではなく、累々と受け継がれてきた土地を勝手に譲り渡してはご先祖様に申し訳けが立たないというような感覚で、場合によってはより大きな国益に反してでもその権限を墨守しようとする。 問題は、官僚が実感している説明責任の対象は、国会や自分の上司たる大臣、場合によっては次官や局長などでもなく、「ムラ」の諸先輩、当該政策を築き上げてきた人々の集合体であるというケースが現実に存在することである。 こうした高度に昇華された身内意識といわゆる公益が渾然一体となっていること自体が現行官僚制度の大きな弊害である。 ヒエラルキー社会における身内同士での足して二で割る調整の弊は、単に時間がかかるとか、思い切った政策が打ち出せないといった問題(too late, too little)のみではない。 最大の問題は、往々にしてこうしたプロセスにより政策の責任者があいまいになってしまうことである。政策論争を国民に見える形にすることによって、ムラの論理や利害に基づく調整を封じ込め、健全な政策競争を促すことが必要不可欠なのである。 かつて私が行政改革に携わっている折、ある省庁を分割する再編案が中間報告に盛り込まれた際に、その官庁のさる官僚がショックの余り寝込んでしまったという逸話がある。 個人の自我が組織の利益と同一な人間、ヒエラルキーの完全な部品と化した官僚――しかもそれはその官庁を代表する優秀な中堅官僚である――の存在に私は心底驚いたものだ。 ヒエラルキーに全面的に“降伏”している人間の精神をピラミッド組織の鎖から解放することが自分の使命の一つではないかと私が真剣に思い始めたのはそれが一つのきっかけである。 批評家ではなく、現役の官僚としての私は、以上縷々述べた問題点に、自ら自身が責任を負う立場にある。 これまでも個人的に、いわゆる省庁再編などハード面を中心とした行政改革などで、こうした問題意識を出来る限り反映させるべく努力してきたつもりだが、力及ばず改革は道半ばである。以下に、自分なりに今後の改革の方向性を述べたいと思う。
官僚制にも依然伝統的な美質は残っている。私が所属する通産省は、元来、個人的な外部との情報交換・意見交換を積極的に奨励する気風がある。 逆に一線の課長や補佐が平日の日中べったりと席にいようものなら無能の烙印を押され兼ねない。昼間から机にかじりつくな、情報は足で稼げというのが、一年坊主が先輩から叩き込まれる鉄則の一つであった。 問題はその情報ソースである。 かつては、通産官僚は大手製造業や商社の情報さえ入手していれば大きな間違いはなかったが、最近では、環境関連然り、IT関連然り、メーカーサイドの情報だけでは国策を誤りかねない課題が続出している。製造業の実態把握にしたところで、技術動向にせよ、国際的構図にせよ、従来通産官僚が「ご進講」を受けていた霞が関担当や業界団体の方々の情報だけでは十分正確な行政ニーズはつかめない。 通産省に限らず、霞が関のほとんどの政策決定は、供給サイドの利害が優先的に政策に反映される仕組みにある。供給側の情報の重要性は否定できないが、問題は、既存の行政が、ほとんど行政サービスを享受する利用者側の視点や声に耳を傾けてこなかったことにある。 官僚は深夜・週末まで激務に追われているが、その時間の多くは、先に紹介した省内外での調整・折衝や、無数にある供給サイドの各種利害関係団体・グループからの情報収集、要望の吸い上げ、調整・説得に費やされている。 本当に政策の内容に知恵を絞れるのは深夜・週末のみで、しかも政策の利用者サイドから情報や意見を収集するにもそのパイプもないというのが、これまでの実情だったのである。 従って、政策原案を作ろうにも、それに対するコメントを求めるにも、いかに担当者がフェアに調整しても、入力される情報や意見に制度的偏りがあったことは否めない事実である。 今般、公務員倫理法が施行され、我々官僚は利害関係人との接触を大幅に制限されることになった。 霞が関では同法については「羮に懲りて膾を吹くもの」と評判は芳しくないが、私個人は、転じて従来型の役人の情報収集の在り方を抜本的に変革するよい機会になると考えている。 私自身の経験でも、これまで利害関係者らとの意見交換に充てられていた会食などは、割り勘のコーヒー一杯でも、あるいは会議室でのホカ弁でも十分に代替できる場合が多いばかりか、単刀直入な意見交換によりむしろ本音の対話ができたり、時間や労力の節約になる場合も少なくない。 浮いた時間は、自分が担当する政策分野についての有識者、すなわち大学や民間の研究者やアナリスト、あるいは政策の利用者サイドの立場から当該問題に興味を持つ学生やビジネスマンらとの個人的な交流に有意義に活用できる。 素人と議論しても、とばかにする人もいるが、私自身、自分がそれなりの知験を有する分野の政策について、若い学生諸君の根元的な疑問や提案に目を見開かせられた経験が幾度もある。 すでに私の先輩の某課長のように、民間機関が主催するメーリングリストを通じて、毎晩、担当行政について、大学教授や民間アナリストから学生、主婦なども交えて、肩書き抜きで政策論争を交わし、これが同課長の個人的な政策提言につながるとともに、政府審議会の委員を務める教授の発言を通じて現実の政策に反映しているといった事例も現れ始めている。 現在、通産省では組織的な政策の企画立案に加えて、各個人の問題意識と発意を尊重し、官僚個人の長期的な専門政策分野への自主研修の一環としてオンライン・オフラインの政策研究会の開催を奨励し、そこからの個人の資格での政策提言を制度的に誘発できないか検討している。 これが実現すれば、実験的とはいえ、ヒエラルキー社会の典型たる官僚組織の中に、個人の発意を基軸にしたネットワーク型政策形成システムが導入されることになり、その意義は極めて深いと考える。 この種の試みが通産省から霞が関全体に拡がることを強く期待したい。 ただ、以上にも関わらず、やはり重要なのが組織的な意思決定システムの改革である。個人的な発意において様々の政策オプションが検討されたとしても、その中から最終的な政策案を誰かの責任において選択し、決定した上で責任を持って執行するのが行政であり政治である以上、行政組織本体の意思決定の在り方の変革こそが問題の中核であることは当然である。 私は、その中でも現行制度の最大の問題点は閣議における全会一致原則など閣議運営にあると考えている。 閣議、その前提としての事務次官会議の全会一致慣行がある以上、政府の決定にはあらゆる官庁が拒否権を持つことを意味する。各省庁の意思決定が同様のコンセンサス方式である以上、結果として、霞が関の千名以上の課室長全員が行政決定に拒否権を持っているといっても過言ではない。 行政改革会議最終報告には、「閣議の議決方法については、(中略)必要であれば、合意形成のプロセスとして多数決の採用も考慮すべきである。」との記述が盛り込まれた。 然るに、その後、一部の消極的見解などもあり、この問題についての議論が棚上げされているのは極めて残念な事態といわざるを得ない。 我が国の悪しきコンセンサス主義を是正し、政策決定の責任の所在を明確にするためにも、閣議における意思決定の在り方から議論を行うことが必要であることだけは蛇足ながら指摘しておきたい。
ヒエラルキー社会からの脱却のために不可欠な今ひとつの要素は人事制度にある。 優秀で本来モラルの高い官僚が省益の代弁者に成り下がるのは、何と言っても、自分を総合的に評価し、親切にも終身にわたり生活を保障してくれる集団は所属省集団以外にないからである。 私自身行政改革会議事務局に出向して、同世代の当時課長補佐クラスの官僚たち、或いは同年代の民間大企業の若手幹部諸氏と机を並べて議論して実感したのは、潜在的には各省庁の枠を越えて真の国益のために身を捧げたいという官僚、あるいは民間人は決して少なくないということである。 そうした人物が異口同音に口にするのは、例えば自分が内閣官房に移籍し、省益を捨て真の国益を追求したとき、一体誰が継続的・長期的に自分の評価をし、処遇してくれるのか、結局自分は糸の切れた凧になるのではないかという不安である。 何はともあれ現時点でそうした人事評価を行いうる集団は、既存の省庁や大企業しかないということで議論は振り出しに戻る。官民交流法の施行も、巨大組織の中での個人の政策提言の奨励も、揺りかごから墓場まで面倒を見る大組織しか自分を評価してくれないのであれば、現状は変えることは出来ない。 既存ヒエラルキーを全否定するつもりは毛頭ないが、異なる選択肢が無いことが最大の問題点である。 具体的な解決策は二つある。 一つは官僚組織にもヒエラルキー型共同体以外の人材評価機関、例えば、省庁横断型シンクタンクのようなものを創設し、個人でリスクを取った官僚を各種の政策対案づくりの政策研究者として十分に処遇するような場を作ることである。 将来この国にも二大政党制が訪れるようであれば、政権交代と多数のポリティカルアポインティーの発生を前提に、政党系シンクタンクがその役割を果たすというのも一案であるし、議会政策調査スタッフを飛躍的に増大させるのも一案であろう。 今ひとつの道は、官僚にもフリーエージェントを導入することである。 22才の春に通産省なり、大蔵省に入れば一生その役所の世話になるという以外に、ある一定年次で各省を移籍させる制度を創設することを真剣に検討すべきである。 民間人など外部人材の任用には消極的な各省庁も、同じ役人同士であれば大幅な人材移動にも比較的抵抗感は少ない。 しかし実は同じ官僚であっても異なるムラの人間が同居することになるにつれ、ムラ特有の風習は、普遍的論理の前に淘汰される効果が期待できる。移籍する個人の省益意識の希薄化を狙うとともに、新たな人材を迎える官庁側についても、身内にしか通用しないローカルルールの撤廃を促す効果が期待できるのである。
これら以外にも個人の責任における政策提言づくりの試みがある。 やや広報めいた話で恐縮であるが、私が現在勤務する通商産業研究所は、来年四月に、通産省の一部門という官僚組織を捨て、非公務員型の独立行政法人、経済産業研究所として独立することになる。 新しく再組織される経済産業省から、或いは他省庁から、第一線の行政官に出向を求めると共に、学界や産業界からも、新進気鋭やベテランの研究者、実務家を迎え、青木昌彦スタンフォード大学教授の指導の下に、学・民・官の有能な政策研究者が政策提言を競うことになる。 どうしても組織的な決定の下に動かざるを得ない本省とは異なり、ヒエラルキカルな組織は一切廃し、学・民・官を問わず、全ての研究者がフラットな政策集団を構成する。 全ての政策研究、政策提言は個人の名の下に行うこととし、多様なバックグラウンドを有する個人が活発な政策コンペを行い、政策当局に理論的根拠のある、優れた政策パッケージを提供していくことを目指していく。 今後霞が関の意識やカルチャーを大きく変えていくためにも、優秀な人材の流動化を加速するためにも、経済産業研究所において、官僚、民間アナリスト、大学の研究者などが個人をカプセルとして、オープンに交流し、かつ責任を明らかにした上で、具体的に政策論争を巻き起こしていくことは極めて重要である。 我々官僚は、これまで、霞が関という、閉鎖的なヒエラルキー空間で、半ば独占的に政策を形成してきた。そこに、上司・同僚・後輩を問わない、真剣な政策論争が存在した、或いは存在することは事実であるが、今日までのところ、それは、いわば真水の内海での、プロセスも公開されることのない論争であった。 行政改革会議の最終報告にも規定したとおり、いまや「公共性の空間」は中央の「官」の独占物ではなく、公共政策は、主権国家を担う中央政府に加え、国際機関、地方政府は言うに及ばず、NGO/NPOや民間企業も含めて、幅広い主体が相互に連携し、或いは競争的に担っていくものである。 政策論争を純血培養の霞が関だけで行う時代は既に遠い過去のものとなっている。 今、我々は、いわば、内海から外洋に漕ぎ出し、大洋の荒波にもまれながら、厳しい競争環境に身を置いて、真の政策論争を行う風土を作る先駆者にならねばならない。 この国に、確固たる理論的背景を備えた真の政策提言をはぐくむ土壌を形成するためにも、ポストヒエラルキー社会を構築するためにも、今こそ官僚の責任は重大である。 |