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第141号 2006.8.16
皆さん、こんにちは。松井孝治です。
久しぶりのメールマガジンをお届けいたします。
まず、先々月来、私のホームページでも
お伝えしておりましたように、皆さまを大変お騒がせし、
多くの方々にご心配をおかけいたしましたことにつきまして、
あらためてお詫び申し上げます。
民主党内の役職を辞し、
一議員として、初心に戻り活動させていただいているところです。
この間、多くの読者の方々から、
一議員として活動するというならば、
一刻も早く、いつものメールマガジンを復活させてほしい
というご希望を寄せていただいておりました。
誠にごもっともであり、本日から、
どんなペースで発行できるかどうかは別として、
復活させることにいたしました。
このメルマガを執筆しているのは、8月15日です
(事務的に発行が少々遅れるかもしれません、お許しください)。
戦後61回目の終戦(敗戦)記念日です。
◆亡くなった兄が昭和26年生まれ、
私が、35年生まれですが、
今思えば、私が生まれた頃は
まだまだ「戦後」の色濃い時期でした。
兄が生まれたのは、戦後わずか6年、
私にしても戦後15年の年に生まれています。
15年間といえば、91年のバブル崩壊から、いまや15年です。
91年を起点にすれば、97年に兄が生まれ、
さらに今年私が生まれたような勘定になります。
その意味で、私が生まれた年は、
両親から見れば、つい先日戦争が終わったばかり
という時期だったわけです。
◆昭和31年の経済白書が
「もはや戦後ではない」という表現を使い、
それが流行語になったこと自体が、
当時、日本人が、「戦後」の自信喪失から、
なんとか、「もう戦後は終わったのだ」
と自らに言い聞かせて立ち直ろうとしていた時期だった
ということにほかならないと思います。
昨年大ヒットした、「ALWAYS三丁目の夕日」
の舞台がまさにこの時期です。
私は、子どもの頃、宿の一部屋に
両親、兄と4人でくらしておりましたが、
当時、父が、銃剣を模した木刀を、
店の応接間に大切に飾っていたこと、
何かと言えば軍隊の話や、
戦死した伯父さんの話が思い出話として出ていたこと
は記憶に残っています。
毎年、初詣でに行っていた伏見稲荷大社の参道には
いつも傷痍軍人の方々がおられました。
店にも「軍曹」という呼び名の「洗い場さん」が
足を引きずりながら、働いておられました。
伏見稲荷の傷痍軍人さんの姿も、
洗い場の「軍曹」さんの姿も、
私の小学校高学年から、中学にあがる頃には
すっかり見えなくなってしまいました。
傷痍軍人さんの姿とともに、
私の中での「戦争」も色あせていきました。
銃剣型の木刀は、
私が中学校に上がる頃に店を改築したときに姿を消し、
戦死した伯父さんのことも
滅多に話題には上らなくなりました。
◆大学に入学して以来、私にとっての「戦争」は、
書物の中のものになり、
また、戦争=太平洋戦争ではなく、
戦争=ベトナム戦争や東西冷戦、
さらには戦争=地域紛争
という図式になってまいります。
◆私が、もう一度、先の大戦について真剣に考え出したのは、
就職し、留学中に冷戦が終結を迎え、
帰国してアジア担当となり、
アジア太平洋経済協力を担当するようになり、
アジアの国々の人々と仕事上
接するようになってからのことです。
東京裁判の記録を調べたり、
中国や韓国の人々はもとより、
東南アジアの人々の心に残るわだかまりの原因について
考えるようになりました。
◆戦後50年のいわゆる「村山談話」の作成には、
私が尊敬する大物外交官が深くかかわられました。
たまたま、内閣官房に出向し、
総理の各種原稿を用意する立場だった私は、
「村山談話」の作成経緯についても
知りうる立場だったので、
その間、いかにわが国が戦争総括を行っていなかったか
を痛感することになります。
村山談話は、
そうした状況の中での、苦心の作であると同時に、
村山総理とそのブレーンであった某外交官の
深い思いが込められたものであったことは、確かです。
◆そして、戦後60年の節目である昨年の8月15日。
わが国は9・11総選挙に向けた
「小泉劇場」の真っ只中にありました。
小泉総理は、
郵政民営化については、雄弁にご自信の持論を語られましたが、
戦後60年に当たっての歴史認識については、
戦後50年談話を踏襲するという以上に
独自の歴史認識は示されませんでした。
◆そして、61年目の敗戦記念日である本日に、
おそらく同じ歴史認識の下、
「いつ行っても同じ、ならば今日が適切」
との認識の下で、靖国神社を参拝されたわけです。
私は、小泉総理が靖国神社に行かれたから
申し上げるわけではなく、
この間の総理の言動に、
真摯な歴史認識や戦争観がないことこそに
最大の問題であると考えております。
◆私は、今年も、昨年に引き続き、
千鳥ヶ淵の戦没者墓苑におまいりさせていただきました。
先ほど申し上げましたとおり、
私の伯父も、太平洋戦争で戦死しておりますし、
父も従軍しておりましたから、
戦没者の御魂に誠をささげ、
その前で平和を誓うことは、
とても大切なことだと思っております。
多くの方々が靖国神社にまいられるお気持ちは
大切にすべきだと思います。
靖国神社が宗教法人として、
独自の判断や様式で、戦没者を祀られていることも
尊重しなければならないことです。
国として、戦争犠牲者を慰霊することは、
平和への願いをこめて、積極的に行うべきことも
言うまでもありません。
◆ただ、国として、靖国神社という宗教法人に、
戦没者慰霊を現状のように任せ、
総理個人の判断で、そこにお参りしたり、
しなかったりという現状は、
あまり好ましいものではないのではないでしょうか。
◆そして、以下の点について、
真剣に検討する必要があると考えます。
○戦没者全般の慰霊を、
特定の宗教、宗派に任せてよいのかどうか
という問題をどう考えるか。
この問題は憲法上の政教分離原則にもかかわる点です。
○戦没者の定義をどのように捉えるのか。
この点にA級戦犯問題も入りますし、
ともにお祀りされたくないという遺族
(さまざまな国籍や宗派の遺族がおられます)
の意思は全く顧みられなくてよいのか
という問題もあります。
また、時の権力に矢を向けたとされた戦没者は
祀られなくてよいのか、という問題があります。
戊辰戦争、西南戦争で、日本の将来を思い戦った人物でも、
官軍に属さなかったということで
祀られないということには、釈然としない思いが残ります。
◆こうした問題への配慮と言う意味では、
私には、小泉総理より麻生外務大臣の方が、
まだはるかに正面から
この問題を捉えておられるような気がいたします。
以上のような考えに基づき、
私は、千鳥ヶ淵におまいりさせていただいているわけです。
◆私は、この問題は、
基本的には、外交問題としてとらえるべきではない
と考えております。
戦争にかかわることですから、
一定の外交的配慮は必要かもしれませんが、
基本は、他国がどう言うからどうしなければならない
という問題ではありません。
あくまで日本人が自らの歴史を顧み、
戦争の犠牲となった日本人と
外国人、軍人・軍属と民間人の霊を
どう慰めるか、ということを判断すべきなのです。
◆私自身は、昨年の6月末に、
今上陛下が、サイパンで示された慰霊の姿に
答えがあるような気がしております。
戦争の話になると、どうしても長くなります。
◆一見関係のないことのように思われるかもしれませんが、
今日、早朝6時から新宿歌舞伎町で約1時間あまり、
東京掃除に学ぶ会が主催する
第44回新宿駅周辺街頭清掃に、参加させていただきました。
小雨がときおり強くなる生憎の天候でしたが、
日本を美しくする会、掃除に学ぶ会の鍵山秀三郎相談役
(イエローハット創業者)を先頭に、
約200名の皆さんとともに
掃除に汗をかかせていただきました。
もとはといえば、少し前に、京都市内で、学校の先生方に、
「便きょう会」という、土曜の朝に
学校の便所掃除をさせていただく会に誘っていただいたことが
きっかけでした。
最初は、
「えー、便所掃除?しかも土曜の朝早く?」
というのが率直なところだったのですが、
体験してみてびっくり。
便器に素手をつっこみ、
‘臭い’も、ものともせず、汚れを必死に落とします。
この活動の創始者である
鍵山先生流に「凡事徹底」していると、
自分の中にある、躊躇やわだかまりが吹っ切れるとともに、
便器をきれいに磨いた後、
本当に自分の心を磨いたように気持ちよくなるので、
何度か参加させていただくようになりました。
(この便きょう会には皆さんが参加費500円を払って
参加されているのです!)
◆8月9日に京都の年次大会で岩倉南小学校の
トイレ掃除にうかがったら、
日本を美しくする会の鍵山秀三郎相談役がおみえで、
その掃除への姿勢に感動し、
夜の懇親会でお話させていただきました。
その際、学校の便所掃除もよいけれど、
街の掃除もやってみたらどうですか、
東京でも毎月やっていて、
次は8月15日の朝に、
歌舞伎町で自分の仲間がやっているから
参加してみたらと誘われたわけです。
◆この運動をなさっている方々は、トイレ掃除もそうですが、
街路の掃除も徹底していて、
単にごみや吸殻などを掃き集めるだけでなく、
路上や、路面の細かい通風網などに
こびりついたガムなどの汚物を、へらで落としていきますし、
さらには、
車道と歩道の境目にあるコンクリートのどぶ板をはずして
汚泥掃除まで行います。
◆今朝、歌舞伎町に行ってみたら、
まさか来られないと思っていた鍵山さんがお見えで、
どぶの汚泥掃除や、集めたごみや泥、汚物の分別など、
もっとも大変な作業を率先して行っておられて
またびっくり。
本当に頭が下がる思いでした。
◆また、この活動を通じて、
新宿・歌舞伎町の明け方の様子も
実地体験することができました。
朝6時というと、お盆のこの時期でも、
多くの若者(明らかな未成年が多数!)が
昨晩からの流れで街をさまよい、
多くのホームレスの方々や、
終電に乗り遅れたとおぼしきサラリーマンが
コマ劇場周辺の建物の
1階の庇の下の部分に寝ておられる時間でした。
吸殻を丹念に塵取に納めて、ふと見ると、
また、新しい火の着いた吸殻が落っこちていたりします。
一瞬、むっとしますが、
鍵山先生のように、
「すべてのごみは拾ってもらうのを待っている」、
と思うと、新しいごみを見つけるのが
愉しくなってくるから不思議です。
若いカップルなどが申し訳なさそうに
こっちを見ていたりすると、
意外と若い人の気持ちにも伝わるのかなと思ったり。
しかし、ホームレスの無反応、
人生に疲れ果てているような姿を見ると、
漫画「ドーン」のようには実際の社会は回らない、
重い現実に引き戻されます。
◆鍵山先生が、便所掃除もいいけど、街の掃除もいいですよ、
っておっしゃっていた理由のホンの一端ですが、
わかったような気がします。
掃除自体は気持ちのいいものですが、
いろいろなことを考えさせられる、複雑な朝でありました。
雨が強くなったこともあり7時15分頃解散になり、
鍵山先生にごあいさつに行くと一言。
「こういう盛り場での掃除は、
また(トイレ掃除とは違った意味で)、
よいでしょう?京都でも、
門川(教育長)さんと相談して、
四条河原町あたりでやってみたらどうですか?」
宿題をいただきました。
◆掃除が終わって、(びしょ濡れになったので)
宿舎に戻ってシャワーを浴びてテレビをつけたら、
小泉総理の靖国参拝一色でした。
そうか、さっきのヘリコプターはこれだったのだなと納得。
お墓まいりで先祖の霊に手を合わせる前に、
一生懸命お墓を掃除するがごとく、
8月15日には、日本のどこかを一所懸命に掃除して、
そして、戦没者の御魂に誠をささげ平和を祈る、
今の私には、それが一番腑に落ちるなと感じた次第です。
☆ ご紹介
今年の夏にも、
戦争というものを考えさせられる映画が
何本か上映されています。そのうちから二本ご紹介します。
○今年の4月12日に急逝された
黒木和雄監督の遺作「紙屋悦子の青春」
12日にNHK教育テレビで
「戦争へのまなざし・映像作家・黒木和雄の世界」
が放映されたのをご覧になった方もおいででしょうが、
「戦場」や「戦闘」シーンを一切抜きに、
他の黒木作品同様、
人間の日常に大きな影響を投げかける
「戦争」を描いています。
○日本軍山西省残留問題を扱ったドキュメンタリー
「蟻の兵隊」
山西省残留問題の調査に、
心血を注ぐ奥村和一さんに密着したドキュメンタリー。
重い、重いフィルムですし、
歴史認識において異なるものをお持ちの方も
多いとは思いますが、
今なお残る戦争の一断面に衝撃を受けます。
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●京都から、この国のかたちを変える。●
第141号 2006.8.16 発行 (配信数:1704部)
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