 |
|
第152号 2007.1.26
皆さん、こんにちは。
松井孝治です。
2007年最初の メールマガジンをお送りさせていただきます。
(本年も 公職選挙法にのっとり 時候の挨拶は
遠慮させていただいております)
私が皆さんにご支援いただき議席を預からせていただいて、
6回目の新しい年を迎えさせていただいたことになります。
通常国会が始まり、
本日 安倍総理の施政方針演説が おこなわれるところですが、
本日は 年始に書きかけていた少しフランクな話題を
アップさせていただきます。
◆溝畑宏君に勇気をもらう
私もごたぶんにもれず、年末年始には
ご無沙汰していた かつてのクラスメートなどの旧友と
お酒を酌み交わし、お互い年とったなとか、
意外と変わってないなとか、昔話に花が咲かせる機会があります。
この年末年始にも そのような場面がいくつかありました。
そんな中で、今年のお正月に、
溝畑宏君という中学高校同期の友人と
久しぶりに再会いたしました。
すでに 私が主催する勉強会などで
何度かお話いただく機会もありましたので、
ご存知の方も 少なからずおいでのこととは存じますが、
やはり多くの方々はご存じないので、
彼の人となりも含めて 多少ご紹介申し上げます。
◆やんちゃ坊主が大きくなった
溝畑君は私と洛星中学・高校の同期生です。
中学高校時代は 野球にも打ち込んだ、
文武両道の溝畑君、大学は東京大学法学部に進学、卒業し、
そのまま自治省に入省します。
というとエリートっぽく聞こえますが、
やんちゃ坊主がそのまま大きくなったような性格で、
クラスでも野球部でも 人気者の野人派でした。
今でも同窓会などで 彼のいたずらの逸話は事欠きません。
ある日、彼が黒板のチョークをこっそりクレヨンに差し替えて、
それを知らずに黒板いっぱいに英語を書きまくっていた
某神父様が、消そうと思っても消せず、授業がそこで中断して、
その神父様が 文字通り頭から湯気を出して
怒っておられた姿が 脳裏に焼きついています。
◆皇居のお濠で意気投合?
自治省を選んだのも、当時リクルーターであった、
現在 佐賀県知事をされている古川さんと面接の結果、
意気投合(古川知事も相当なものです)、
「溝畑!一緒に仕事をしよう!」と、ともに
皇居の御濠に飛び込んだご縁(時効だからいいですよね)
に感動した(?)という、嘘のようなホントの話もあります。
しかし、その溝畑君が、
政策マンとして頭角を現すのは 入省後です。
1985年に自治省に入った溝畑君は、
役人の誰もが議論を避けてきた
消費税の引き上げ というタブーについて、
大蔵・自治両省の若手官僚の間で 議論を始めます。
若き溝畑君は、竹下総理にまで直談判をした という
武勇伝ももっております。
今でこそ、平成の大合併として進展する、
市町村合併の必要性を最も早くから主張してきたのも
溝畑君でありました。
市町村合併を進めれば、自治省の出向ポストが減るではないか
といった先輩の慎重論など どこ吹く風と溝畑君は若手を中心に、
自治体の財政的・行政的自立を推進するためには
合併促進に国が動くべきだ といって省内の世論を
作り上げていったわけです。
◆平松知事のもと大分へ
しかし、このあたりは序の口です。
溝畑君が本当の真価を発揮するのは、大分県に出向してからです。
平松知事に見込まれた溝畑君は 通常の人事異動の慣例に従い
2年間の勤務の後 本省に呼び戻されますが、
彼は、そうしたルーティーン人事を嫌い、
わずか半年の本省勤務の後、志願して大分県に再度出向します。
結局、彼の役人人生18年中大分県に12年在籍することになります。
このようなことは、いろいろな地方と中央を
2年ずつ交代に勤務して 出世街道を上り詰める役人人生から見ると
いかに不利であるかは言うまでもありません。
◆3人を3万人に!
その後、彼はトリニータ大分の設立に尽力します。
県庁の職員だった溝畑君ですが、
94年にトリニータの前身の大分トリニティの初試合の観客は
なんとたった3人だったと言います。
「ほら見たことか」という批判をよそに、
溝畑君は「この3人を必ずや3万人にする」
と大目標を立てます。
周囲の誰もが 大法螺だ と思った大目標ですが、
その3人の観客に5人を連れてきてくれ と頼み込み、
次の試合の観客は 17人に。
好循環が続き、わずか2年で JFLへの昇格を果たします。
◆「溝畑辞めろ!」
その後、彼を励まし続けてくれていた経営難で
メインスポンサーの降板の中で、苦境に立たされたチームは
成績も下降、「スタジアム」に「溝畑辞めろ!」
という横断幕をはられるという屈辱も味合う中で、
彼は黙々とスポンサー集めに汗をかきます。
スポンサー探しのため、彼自身が車を運転して
一日何十人という中小企業の経営者の方々に 個別訪問を行い、
直談判をする日が続きます。
県庁の役人が頼みに来た といっても、
必ずしも歓迎の方ばかりでは ありません。
むしろ 厳しい反応が多かったと聞きます。
土下座を強いられる などというのは実は序の口で、
ここには書けないような 屈辱的な仕打ちを受け、
結果的に入院するはめになった 事例もあったらしいですが、
そこは溝畑君、ガッツで切り抜けます
(ちなみにそれだけのことをした成果は あったようです)。
◆困難を切り抜け、J2、J1へ
そのようにして苦しみながら、J2に昇格。
その後W杯日韓共催大会の大分招致にも成功し、
翌年には待望のJ1昇格。
そして03年には目標の観客3万人の達成。
しかし その後も 大手スポンサーの経営不振による撤退の危機、
そしてチームも低迷しますが、
そこを溝畑君は再度ガッツで切り抜けます。
新たなスポンサー探しと、逆境に強いシャムスカ監督の起用で
この危機も切り抜けたわけです。
◆溝畑君を支える理念
溝畑君と話して、驚くのは、地域の元気がなければ
日本は元気にならないという理念がきわめて明確であることです。
大分という土地が大好きで、
そこから世界一のものを作っていきたいという気持ち。
そしてその夢をかなえるためなら、徹底的に誇りも捨てて、
土下座でも何でもするという、行動力とバイタリティです。
◆京都人「溝畑宏」
しかし、彼はもとはといえば京都人。
お父さんは 京大の理学部長までつとめられた 有名な数学者です。
やはり彼の京都への愛着は人一倍です。
立命館アジア太平洋大学の 大分誘致の成功の鍵を握ったのが
溝畑君であることは有名ですが、二人で話すと、
京都からこんなに素晴らしい大学をいただいて申し訳ない
という気持ちも隠しません。
彼と会うたびに、
「もっともっと京都に頑張ってほしいんや」
「松井、頼むよ、俺に出来ることは限られてるけれども
何でもするから」
「京都にはこんなに素晴らしい資源があるんだから、
もっと頑張ってほしい」
と友人として、お腹の底からの叱咤激励をうけるわけです。
◆溝畑宏、退路を断つ
そんな溝畑君、04年に大分トリニータの社長になった時点で
実質的には総務省には別れを告げていましたが、
今は、官民交流制度というものがあり、
昨年3月までは本籍がまだ総務省に残っていました。
総務省の中には、やはり、彼のような異能の野人を
本省に戻したいと考えていた方々も少なからず存在したようです。
しかし昨年3月、彼自身の判断として、
その身分もかなぐり捨てて完全に民間人となって、
トリニータの将来のために汗をかき続けています。
溝畑宏君は退路を断ちました。
溝畑君ほど目立たなくても、彼のような人物、
その予備軍は、実は霞が関の官庁街にも、
そして地域にも たくさん存在すると私は考えています。
年明けから、溝畑君に元気をもらい、同時に、いろんな分野で、
共通した理念で仕事をしている
仲間達とつながっていくことによって、
「国のかたち」を変えていかなければ と
思いを新たにさせていただいた次第です。
今年も皆さまにご指導ご鞭撻をいただきますよう
お願い申し上げます。
==========================================================
●京都から、この国のかたちを変える。●
第152号 2007.01.26 発行 (配信数:1806部)
●松井こうじ後援会事務所
〒604-8141 京都市中京区蛸薬師通高倉西入
泉正寺町334 日昇ビル5階
TEL:075-213-6648 FAX:075-213-6645
【松井こうじオンライン】 http://www.matsui21.com
[ご意見、ご感想は…] info@matsui21.com
●転載を歓迎します。皆様の周囲で是非お広めください。
その際、宜しければメールにてご連絡ください。
Copyright(C)2001 Koji Matsui All rights reserved
|
|
|
 |